
週刊ヤングジャンプで連載中の大人気漫画『キングダム』には、個性豊かで魅力的なキャラクターが数多く登場します。
その中でも、政(後の始皇帝)の最大の政敵として物語を盛り上げた呂不韋は、特に存在感の強いキャラクターです。
今回は、そんな呂不韋の人物像を深く掘り下げながら、中国史に名を残すもう一人の「呂」である呂布との関係性、そして、三国志に登場するという彼の“子孫”の真相に迫ります。
まずは、呂不韋がどのような人物だったのか、そのプロフィールや史実での生涯を見ていきましょう。
呂不韋のプロフィール
| 所属 | 秦国(相国、丞相) |
| 役職 | 政治家、文官 |
| 特徴 | 腹黒い野心家、巨視的な視点を持つ |
| 初登場巻 | 第6巻 |
呂不韋は、元々は趙の首都・邯鄲で活躍していた一流の商人です。
若き日の彼は、単なる商取引だけでなく、天下を動かすほどの巨利を得ることを目指していました。
その目的のため、秦王室の末席にいた子楚を王位に就けようと画策します。
その類まれな先見の明と、緻密な根回しによって、子楚を秦の王位(荘襄王)に就かせることに成功し、自らも秦国の丞相にまで上り詰めます。
その知略は、後の始皇帝となる政すらも油断できないと認めるほどでした。
しかし、政が加冠の儀を迎えることで、呂不韋の権力は徐々に失われ、最終的には政敵として激しい政争を繰り広げることになります。
史実においても、呂不韋は商人の身から権力の中枢にまで上り詰めた人物として知られ、その生涯はまさに波乱万丈でした。
特に、彼の愛人であった趙姫(後の政の母)が、すでに呂不韋の子を宿していた状態で子楚に献上され、その子が政となったという説は、史実の記録にも残されています。
『キングダム』では、この史実をよりドラマチックに、呂不韋の野心家としての側面を強調して描いています。
【キングダム】呂不韋と呂布に血縁関係はある?
呂不韋と呂布。二人とも「呂」という同じ姓を持つため、もしかしたら血縁関係があるのではないかと考えた読者もいるかもしれません。
しかし、結論から言うと、この二人に血縁関係どころか、直接的な接点すらありません。
ここでは、呂不韋と呂布が無関係である理由を、時代背景や出身地から見ていきましょう。
呂布とは?
呂布は、『キングダム』よりも後の時代、中国の「三国時代」に活躍した武将です。
三国時代は、後漢王朝が衰退し、魏・呉・蜀の三国が覇権を争った時代で、紀元前3世紀頃の春秋戦国時代とは、およそ400年以上の隔たりがあります。
呂布は、その圧倒的な武力から「三国志最強」と称されるほどの猛将でした。
愛馬である赤兎馬に乗り、方天画戟という武器を愛用したとされています。
その一方で、野心と欲望に弱く、主君を次々と裏切るという非情な一面も持ち合わせていました。
その生涯は、圧倒的な武力がありながらも、人望を得られず、最終的には部下の裏切りによって敗北するという悲劇的なものでした。
時代も出身地も異なる二人
呂不韋と呂布は、同じ「呂」という姓を持つものの、活躍した時代が全く異なります。
呂不韋は春秋戦国時代の人物で、紀元前200年代の出来事です。
一方、呂布は三国時代の人物で、紀元200年代の出来事です。
さらに、出身地も全く違います。
呂不韋は、現在の河南省にあたる「濮陽」の出身である一方、呂布は現在のモンゴル自治区にあたる「五原郡」の出身でした。
このように、時代も場所も異なる二人が、血縁関係を持つ可能性は極めて低いと考えるのが自然です。
同じ姓を持つというのは、あくまでも偶然の一致だと言えるでしょう。
【キングダム】呂不韋の子孫は三国志で活躍している?
呂不韋と呂布に血縁関係がないことが分かった一方で、「呂不韋の子孫が三国志に登場する」という説があります。
この説は、歴史ファンやキングダム読者の間で、長年話題になってきました。
ここでは、呂不韋の子孫だと噂される人物と、その真相について迫っていきます。
呂不韋の子孫・呂凱
呂不韋の子孫として、最も有力視されているのが「三国志演義」に登場する蜀の武将、呂凱です。
「三国志演義」は、史実を基にした小説であり、その中に呂不韋の子孫として呂凱が登場します。
呂凱は、蜀の丞相である諸葛亮が南蛮遠征を行った際に、孟獲の情報を記した詳細な地図を献上し、諸葛亮の勝利に貢献したとされています。
「三国志演義」は、史実にはない創作部分も含まれているため、呂凱が本当に呂不韋の子孫であるかは定かではありません。
しかし、呂不韋の子孫が忠義に厚い人物として描かれているという点は、興味深いと言えるでしょう。
劉備も呂不韋の子孫?
さらに、三国志の主人公の一人である劉備も、呂不韋の子孫ではないかという噂があります。
この説の根拠は、劉備の先祖である漢の初代皇帝・劉邦の妻、呂雉にあります。
呂雉は、呂不韋の親戚であったという説があり、もしそうであれば、劉邦の子孫である劉備にも呂不韋の血が流れている可能性があるというのです。
しかし、この説も確固たる証拠はなく、あくまで歴史ファンの間で囁かれる「もしも」の話に過ぎません。
史実の呂不韋と呂布は全くの無関係であると考えるのが一般的ですが、このように、彼らの名前は後世の物語の中で、様々な形で関連付けられてきたことが分かります。
【キングダム】呂不韋と呂布に関するネット上の声
呂不韋と呂布は、多くの読者が混同しやすい名前です。
ここでは、X(旧Twitter)に寄せられた、二人の名前に関する感想や評価を見ていきましょう。
・呂布が呂不韋になってた笑った
・秦の呂不韋とよく言う呂布って同じ人?
・呂不韋と呂布って全く関係ない別人か、そもそも字が違うしな
・呂不韋と呂布は被るからどっちか改名して
上記のように、多くの読者が二人の名前を混同してしまっている様子が伺えます。
特に、中国史に詳しくない人にとっては、読み方も似ている上に、どちらも歴史上の実在人物であるため、同一人物ではないかと思ってしまうのも無理はありません。
しかし、一度彼らが活躍した時代や背景を理解すれば、二人が全く別の人物であることがすぐに分かります。
こうした名前の混乱も、両作品の人気と知名度の高さを物語っていると言えるでしょう。
まとめ:呂不韋と呂布は中国史を彩る二人の「呂」
今回は、キングダムに登場する呂不韋と、三国志の呂布の関係性について深掘りしました。
結論として、二人に血縁関係はなく、活躍した時代も場所も全く異なる別人であることが分かりました。
しかし、それぞれが自身の時代において、権力や武力といった特別な力で名を残したという点では、共通していると言えるかもしれません。
呂不韋がその類まれな知略で天下を動かそうとしたのに対し、呂布は圧倒的な武力で戦場を席巻しました。
中国の長い歴史の中で、同じ「呂」という姓を持つ二人が、それぞれ異なる形で名を残したことは、単なる偶然以上の面白さを感じさせます。
『キングダム』や『三国志』を読む際には、こうした歴史の繋がりや偶然の一致に注目してみると、より深く物語を楽しめるのではないでしょうか。
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