【聲の形】ラストシーンを徹底比較!漫画版と映画版の結末が描くそれぞれの「希望」とは

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【聲の形】ラストシーンを徹底比較!漫画版と映画版の結末が描くそれぞれの「希望」とは

 

『週刊少年マガジン』で連載され、社会現象を巻き起こした『聲の形』。

「聴覚障がい」や「いじめ」といった重いテーマを真正面から取り扱いながらも、多くの読者の心を掴み、大反響を呼びました。

原作である漫画版はもちろん、劇場版アニメも大ヒットを記録し、その名を不動のものとしました。

しかし、この作品のファンであれば誰もが知るとおり、漫画版と映画版ではラストシーンが異なります。

今回は、この大ヒット作『聲の形』のラストシーンに焦点を当て、漫画版と映画版それぞれの結末の違いや、そこに込められたメッセージを深く掘り下げていきます。

ファンの方にとっては新たな発見を、まだ作品に触れていない方にとっては、作品の奥深さを知るきっかけとなるはずです。

 

『聲の形』の作品概要

『聲の形』は、大今良時が手がけ、『週刊少年マガジン』で2013年から2014年51号まで連載された漫画作品です。

この作品が連載に至るまでには、少しユニークな経緯があります。

実は、連載が始まる前に2度、読み切り版が同誌に掲載されていました。

1度目の掲載時には、『進撃の巨人』や『どうぶつの国』といった当時絶大な人気を誇っていた連載作品をおさえ、読者アンケートで堂々の1位を獲得しています。

この異例の大反響が、連載へと繋がったのです。

物語は、聴覚の障がいを理由にいじめの標的となった少女・西宮硝子と、そのいじめの主犯格であったことが原因で、新たないじめの標的となった少年・石田将也の二人を中心に展開します。

作者は、この二人を通して「人と人が互いに気持ちを伝えることの難しさ」という普遍的でありながら、現代社会においても非常に重要なテーマを描き出しました。

コミックスは全7巻で完結しており、その完成度の高さから、様々な賞を受賞しています。

2015年には「このマンガがすごい!」のオトコ編で第1位に輝き、「マンガ大賞2015」でも第3位に入賞しました。

その他、第19回手塚治虫文化賞新生賞を受賞するなど、批評家からも高い評価を受けています。

これらの受賞歴は、単なるエンターテイメント作品としてだけでなく、社会的なメッセージを持った作品として多くの人々に認められた証と言えるでしょう。

 

ネタバレ注意!『聲の形』のあらすじ

物語の結末について解説する前に、『聲の形』がどのような流れで結末を迎えるのか、その全体像を簡単に振り返ります。

ここからは物語の核心に触れる内容となりますので、未読の方はご注意ください。

 

主人公・石田将也とヒロイン・西宮硝子

物語の主人公、石田将也は、高校生になった時点で人生に絶望し、自殺を決意していました。

その理由を探るため、物語は彼の過去へと遡ります。

将也の人生を大きく変えたのは、小学校6年生の時、クラスに転入してきた一人の少女でした。

彼女の名前は西宮硝子。

転校初日の自己紹介で、硝子はノートを使って耳が聞こえないことをクラスメイトに伝えます。

当初は好奇心と優しさから硝子と交流しようとしていた将也でしたが、次第に補聴器が壊されるなどのトラブルが頻発し、クラス全体に不満が広がっていきます。

そして、そのいじめの中心にいたのが、将也でした。

将也は、硝子へのいじめを主導し、クラスメイトを巻き込んで無邪気に残酷な行為を繰り返します。

この無責任な行動は、後に彼自身の人生を大きく狂わせることになります。

 

将也のいじめと孤立

いじめがエスカレートする中、将也のクラスで学級会が開かれることになります。

校長が参加する中、硝子が失くした補聴器の累計額が170万円にも上ることが明かされ、教室は騒然としました。

この事実を突きつけられ、いじめの主犯として追及された将也は、自分のしたことを正直に話そうとしますが、その瞬間、それまでいじめを黙認していた担任の竹内が突如激昂し、将也に全ての責任を押し付けます。

担任のこの行動をきっかけに、それまでいじめに加担していたクラスメイトたちは一斉に将也に全ての責任をなすりつけ、手のひらを返したように彼を非難し始めました。

これにより、将也は新たな「いじめの標的」となってしまいます。

教室の黒板には彼の悪口が書かれ、持ち物が隠され、教科書は破られるなど、将也が硝子にしたことと全く同じいじめを今度は彼自身が受けることになったのです。

このいじめは小学校卒業まで続き、中学校や高校ではいじめこそなかったものの、将也は誰とも深く関わることができず、周囲に壁を作って孤立してしまいます。

この時点で、彼の周りにいる人たちの顔には、彼自身が見た「×」が貼られていました。

これは、将也が他者とコミュニケーションをとること、そして他者を理解することに絶望し、心に蓋をしてしまっていたことの象徴です。

 

生き直すことを決意

高校生になった将也は、過去の償いも、未来への希望も持てず、自殺を決意します。

しかし、死ぬ前にどうしても伝えたい思いがありました。

それは、小学校で辛い思いをさせた硝子への謝罪でした。

将也は硝子が通っている手話サークルの会場へ向かい、過去の謝罪と、自分の正直な気持ちを伝えます。

この再会は、将也にとって人生最後のけじめのつもりでした。

しかし、硝子は将也の思いを受け止め、手話で「またね」と返します。

この言葉と、硝子の優しい眼差しに、将也は生きる希望を見出しました。

「硝子の為になることをする」という強い思いを胸に、彼は生き直すことを決意します。

ここから、将也は再び硝子や他のクラスメイトたちと向き合い、壊れてしまった人間関係を修復しようと奮闘する物語が始まります。

この作品が多くの人に支持されるのは、過去をやり直すことはできなくても、今を生き直し、未来を変えていくという、将也の成長と葛藤がリアルに描かれているからでしょう。

 

『聲の形』のラストシーンは漫画版と映画版で違う?

『聲の形』が社会的に注目を集めた後、2016年には京都アニメーション制作で劇場版アニメが公開されました。

上映館数は120館と比較的少なかったものの、興行収入は23億円を超える大ヒットを記録し、多くのファンを熱狂させました。

特にアニメ版では、原作者の大今良時も監修に参加しており、原作の持ち味を残しつつも、アニメーションとしての完成度を追求したとされています。

しかし、この映画版は原作漫画とは異なる結末を迎えています。

映画版『聲の形』は、第40回日本アカデミー賞優秀アニメーション作品賞や、第20回文化庁メディア芸術祭アニメーション部門優秀賞など、数々の賞を受賞し、その質の高さが評価されました。

ここでは、そんな二つの作品がどのような結末を迎えたのか、その違いを詳しく見ていきましょう。

 

ネタバレ注意!漫画版『聲の形』のラストシーンを紹介

まずは原作である漫画版『聲の形』のラストシーンから見ていきます。

漫画版の結末は、高校を卒業し、数年後に行われた成人式が舞台となります。

この結末は、コミックス最終巻の7巻で描かれています。

成人式の日、将也は家で西宮母が将也母にヘアメイクをしてもらっているのを見かけます。

西宮母は、硝子と植野、佐原が仲良く写っている写真を将也に見せ、その表情には娘の成長を喜ぶ親としての喜びが溢れていました。

将也は慌てて準備を済ませ、成人式会場へ向かいます。

会場では、永束と結弦が再会し、お互いの近況を語り合っていました。

永束は、審査員からは酷評されたものの、映画制作を続けていると話します。

この映画制作のエピソードは、映画版ではほとんど描かれていなかったため、漫画版ならではの重要な描写です。

その後、川井や真柴、そして硝子、植野、佐原といった主要な仲間たちが次々と集まり、皆で記念写真を撮ります。

全員が笑顔で、将也にとってかけがえのない仲間であることが伝わってくる温かいシーンです。

そして、成人式の後、将也と硝子の二人は、小学生の時に通っていた母校の同窓会会場の扉の前に立ちます。

将也にとって、この扉の向こうには辛い過去と向き合うべき場所です。

しかし、同時に、未来への希望が待っている場所でもありました。

将也は、硝子の手をとり、「いじめを乗り越え、新しい未来へ踏み出す」という決意を胸に、二人でその扉を開けるところで物語は幕を閉じます。

漫画版の結末は、過去と向き合い、未来へと進んでいくという、将也と硝子、そして仲間たちの成長を象徴的に描いた感動的なシーンとして、多くの読者に深い感銘を与えました。

特に、二人が手を取り合う描写は、「声にならない思い」を伝えることの難しさを乗り越えた二人の関係性を象徴していると、多くのファンが考察しています。

 

ネタバレ注意!映画版『聲の形』のラストシーンを紹介

続いて、映画版『聲の形』の結末について見ていきましょう。

映画版のラストシーンの舞台は、漫画版の物語の途中に描かれた、高校の文化祭です。

物語は、硝子が自殺を試み、それを阻止しようとした将也がベランダから転落し、昏睡状態から回復した後のシーンから始まります。

将也は、意識が戻った後も、以前の自分と同じように友人と向き合うことができず、文化祭の会場で永束をはじめとする友人たちと顔を合わせるのが怖くて、トイレに閉じこもってしまいます。

そこへ、永束が「お腹が痛いのか?」と声をかけます。

永束の優しさに、将也は「本当はみんなと文化祭を回りたかった」と本音を漏らします。

すると、永束は涙を流しながら「君が無事でよかった」と伝え、橋の上で仲違いしたことなどもう気にしていないと将也に告げます。

その声を聞きつけ、他の友人たちも集まってきます。

彼らとの再会により、将也は再び友人たちに受け入れられたことを実感し、皆と一緒に文化祭を回ることを希望します。

そして、友人と一緒に校内を歩き始めた将也の目に映る光景は、驚くべきものでした。

今まで、将也が他者の顔を見て理解しようとすることを拒絶し、将也自身が作り上げた壁の象徴として、周囲の人たちの顔についていた「×」のマークが、次々と剥がれ落ちていくのです。

この「×」が剥がれ落ちる描写は、将也が他者の存在を認め、心を開いていく過程を視覚的に表現しています。

将也は、自分が泣いていることに気づき、驚きます。

しかし、友人たちは微笑みを浮かべて彼を受け止め、将也もまた、初めて他者の顔を真正面から見つめ、耳を傾けることができるようになったのです。

映画版の結末は、将也の精神的な成長と、いじめという過去のトラウマを乗り越え、再び他者と繋がることができた「今」を描いています。

これにより、観客は将也の心の変化をより強く感じることができ、深く感動したという声が多く聞かれました。

 

ネタバレ注意!『聲の形』の映画版と漫画版のラストシーン以外を比較

漫画版と映画版では、結末だけでなく、ストーリーを構成する様々な要素に違いが見られます。

これらの違いを比較することで、それぞれの作品がどのようなメッセージを伝えようとしているのか、より深く理解することができます。

 

映画作成のエピソードがカットされた影響

漫画版『聲の形』の物語において、永束が中心となって仲間たちと映画を制作するエピソードは、非常に重要な要素でした。

この映画制作は、将也が仲間たちと再び心を一つにするための大切なプロセスであり、彼らの絆を深めるきっかけとなりました。

しかし、映画版ではこの映画制作のエピソードが全てカットされています。

これは、映画の限られた尺の中で、物語の核となる部分に焦点を当てる必要があったためだと考えられています。

このカットは、物語の結末にも直接的な影響を与えています。

漫画版では、永束たちが作った映画が文化祭で上映され、その後、新人映画作品審査会に出品されることになります。

この審査会での酷評は、永束たちの心を一度は打ち砕きますが、それがかえって彼らの絆を強くし、それぞれの進路を考えるきっかけとなりました。

漫画版の最終回で、永束が大学に進学してからも映画制作を続けているという描写があるのは、このエピソードがあったからこそです。

一方、映画版では、映画制作の代わりに文化祭のシーンをラストに持ってきました。

これにより、物語は将也の「心の再生」に焦点を絞ることができ、観客は将也の内面的な変化を強く感じ取ることができます。

漫画版が「仲間との絆と未来」を描いたのに対し、映画版は「将也個人の心の救済」をより強調したと言えるでしょう。

 

いじめやキャラクターの感情描写の違い

『聲の形』が連載されていた当時、その生々しいいじめの描写は大きな話題となりました。

漫画版では、将也が硝子をいじめるシーンや、いじめが将也へと向けられるシーンが非常に詳細かつリアルに描かれています。

その描写の辛さから、「最後まで読むのが辛かった」という読者も少なくありませんでした。

また、キャラクター同士の激しい意見のぶつけ合いや、心の闇を吐露するシーンも、漫画版ではより露骨に表現されています。

一方、映画版では、これらの描写がややマイルドに、間接的に表現されているという見方もあります。

もちろん、いじめの辛さはしっかりと描かれていますが、漫画版ほどの生々しさはありません。

この描写の変更については、賛否両論がありました。

「漫画版のほうがよりリアルで心に刺さる」という意見がある一方で、「映画版のほうが安心して観ることができた」という声もあります。

特に、いじめを経験したことのある方や、いじめの描写が苦手な方にとっては、映画版のほうが物語に入り込みやすかったという感想も多く聞かれます。

この違いは、作品の持つテーマを変えるものではありませんが、読者や観客が作品から受け取る印象に大きな影響を与えていることは確かです。

 

スピンオフ的要素のカット

コミックス全7巻というボリュームを持つ漫画版に対し、映画版はわずか2時間程度の尺に収める必要がありました。

そのため、物語の本筋に直接関わらない、いわゆるスピンオフ的な要素の多くがカットされています。

例えば、硝子や将也の家族、特に西宮母の過去のエピソードは、漫画版では彼女がなぜ将也に対して厳しい態度をとるのか、その理由を深く理解する上で重要な要素でした。

また、川井や真柴をはじめとする主要キャラクターたちのそれぞれの視点や、彼らが抱える葛藤についても、漫画版では丁寧に描かれていました。

映画版では、これらの要素が省略されたことで、物語は将也と硝子の関係性に焦点を絞ることができました。

これにより、二人の心の交流がより際立ち、観客は純粋に二人の物語に感情移入することができたと言えます。

しかし、漫画版のファンからは「登場人物たちの内面が描き切れていない」という声も上がりました。

この点は、映画化というメディアの特性上、仕方のないことかもしれません。

 

真柴の役割の違い

映画版と漫画版で、物語における役割が少し異なっているキャラクターの一人に、真柴智が挙げられます。

漫画版では、真柴は「いじめを絶対に許せないキャラクター」として描かれています。

彼は、過去にいじめの被害者であった経験から、いじめの加害者であった将也に対して、強い怒りと嫌悪感を抱いています。

漫画版では、この真柴が将也に対して抱く感情が、物語に多角的な視点を与えています。

『聲の形』は、将也の視点で描かれることが多いため、将也がどれだけ反省しているか、後悔しているかが読者には伝わってきます。

しかし、現実のいじめの被害者にとっては、加害者の反省だけで全てが許されるわけではありません。

真柴は、そのような被害者側の「許せない」という感情を代弁する重要なキャラクターでした。

彼の存在は、将也の物語を単なる「いじめ加害者の自己満足的な贖罪の物語」にさせず、より複雑でリアルな人間ドラマへと昇華させています。

一方、映画版では、真柴のこの役割がやや弱く描かれています。

そのため、映画版を観た方の中には「将也が簡単に許されすぎているように感じて、納得できない」という感想を抱く方もいらっしゃいました。

この違いは、作品のテーマやメッセージを読み解く上で、非常に興味深いポイントと言えるでしょう。

 

『聲の形』を読んだファンの感想

ここまで、漫画版と映画版の結末や描写の違いを比較してきました。

ここからは、実際に作品に触れたファンがどのような感想を抱いたのかを見ていきましょう。

 

漫画版の感想

漫画版を読んだファンに最も多かったのは、「感動した」「心が痛んだ」「考えさせられた」といった感想です。

将也が過去の過ちを乗り越えて成長していく姿は、多くの読者の心を打ちました。

特に、いじめの描写が非常にリアルで辛かったという意見も多く、この作品がいかに読者の感情に訴えかける力を持っているかが分かります。

また、社会問題を取り扱った作品ということもあり、「いじめについて深く考えるきっかけになった」「手話を覚えようと思った」といった、作品から強い影響を受けたという感想も多く見られました。

実際に『聲の形』は、実写版のDVDが制作され、道徳教材として採用されるなど、その社会的意義も高く評価されています。

 

映画版の感想

映画版の結末については、多くのファンが「監督のセンスを感じる」「完璧な終わり方だった」と肯定的な感想を寄せています。

特に、将也の視界から「×」が剥がれ落ちていく描写は、アニメーションならではの表現であり、将也の心の変化を強く感じることができたという声が多数見受けられました。

また、「原作を読んでいなかったが、映画を観て感動し、漫画を読んでみたくなった」という声も多く、この作品が新たなファンを獲得したことが分かります。

一方で、先述の通り、一部のファンからは「ストーリーの展開が早すぎてキャラクターの感情が追い付かない」「真柴の役割が弱く、いじめ加害者が簡単に許されるように感じてしまう」といった批判的な意見もありました。

しかし、作者の大今良時自身が「『読者に意見を聞いてみたい』という気持ちで描いたもの」と語っているように、この作品は、観る人や読む人に様々な問いを投げかける意図を持って作られています。

一つの答えを提示するのではなく、読者それぞれが自分なりの答えを見つけることを促していると言えるでしょう。

 

『聲の形』をラストまで見た方へおすすめの公式ファンブック

漫画版でも映画版でも大反響を呼んだ『聲の形』ですが、作品を深く愛するファンには、ぜひ手にとっていただきたい関連本があります。

それが「聲の形公式ファンブック」です。

このファンブックは、単なる作品情報やイラストをまとめたものではありません。

最も貴重なのは、作者である大今良時へのロングインタビュー記事です。

このインタビューでは、物語の裏側や、キャラクターたちの行動原理、心理状況について詳しく解説されており、「なぜこのキャラクターはこのような行動をとったのか?」という、読者が抱きがちな疑問の多くが解消されます。

特に、「硝子がいつ将也を好きになったのか」や、「なぜ硝子は自殺を決意したのか」といった、物語の根幹に関わる部分の答えが明かされており、ファンにとっては非常に価値のある内容となっています。

また、連載前に掲載された幻の読み切り版2本も収録されており、作品の誕生秘話を知ることができます。

映画版を観て、一部のシーンに納得がいかなかった方や、漫画版を読んで、もう一度作品のテーマについて深く考察したい方には、ぜひこの公式ファンブックをおすすめします。

作品を何回も読み返したり、見返したりした方も、新たな発見があるはずです。

 

まとめ

今回は『聲の形』について、漫画版と映画版の結末、そしてその違いを深掘りしてみました。

いかがでしたでしょうか。

漫画版は「成人式」という未来の舞台で、仲間たちとの再会と、過去の象徴である母校の扉を開けるという希望に満ちた結末を描きました。

一方、映画版は「文化祭」という「今」の舞台で、将也の心から「×」が剥がれ落ち、他者と向き合うことを決意するという、内面的な再生をより強く描きました。

それぞれ異なる結末ではありますが、共通しているのは、「過去を乗り越え、未来へ一歩踏み出す主人公の姿」です。

この作品が多くの人に愛されるのは、その普遍的なテーマと、読む人、観る人によって様々な解釈ができる奥深さにあると言えるでしょう。

どちらの作品が優れているということではなく、両方を見比べることで、『聲の形』という作品の持つ真の魅力が見えてくるはずです。

まだ片方しか見ていないという方は、ぜひもう一方の作品に触れてみてください。

きっと、新たな感動があなたを待っているはずです。

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