前代未聞の学園コメディ!『監獄学園』とは?
平本アキラによって「週刊ヤングマガジン」に2011年から2017年までの約6年間連載された『監獄学園(プリズンスクール)』は、異色の学園コメディとして大きな話題を呼びました。
最終巻となる28巻は、人気漫画家である高橋留美子も帯文を寄せるなど、その注目度の高さが伺えます。
約6年間という長い連載期間の末、「最悪」とも評される結末を迎えたこの作品。
今回は、連載終了に伴い、その衝撃的な最終回の内容を詳しく紹介するとともに、一部で囁かれた「打ち切り」という噂についても徹底的に検証していきます。
学園コメディの金字塔とまで言われた本作が、なぜ賛否両論を巻き起こす結末を迎えたのか、その真相に迫ります。
『監獄学園』のあらすじ:男子はたった5人?禁断の学園生活!
『監獄学園』の舞台は、もともと女子高だった私立八光学園が共学になったばかりの場所です。
この学園に入学したキヨシ、ガクト、シンゴ、ジョー、アンドレの男子5人組は、なんと女子風呂を覗いたことで、裏生徒会に懲罰房(通称・プリズン)に投獄されてしまいます。
彼らの学園生活は、入学早々、軽犯罪法違反を犯した「犯罪者」としてスタートするのです。
元々女子高であった八光学園が共学化してすぐに男子生徒がこのような所業に及んだことで、学校側もその対処に困ったことでしょう。
しかし、『監獄学園』はあくまでコメディです。
作品内には、犯罪者を学校内で裁く風紀委員「裏生徒会」が存在し、この男子5人組を監獄に押し込めるという、常識では考えられないシチュエーションを作り出します。
通常であれば退学処分が妥当と考えられますが、この「学校と監獄」というありえない設定こそが、本作のスラップスティック・ハイスクール・コメディとしての面白さを生み出していると言えるでしょう。
また、本作は男子高校生たちの妄想を極限まで描き出すパロディ性も持ち合わせています。
性的に活発な彼らは、同級生の女子たちと戯れるために、一種の「監獄プレイ」やその他の妄想プレイに耽ります。
このプレイの部分には、ジャン・ジュネやマルキ・ド・サドの作品にも通じるような、猥雑で倒錯的な雰囲気が漂っています。
読者の妄想が次々と形になっていく中で、まともな関係性や精神状態を保てる人間はいるのか、と疑問に思う方もいるかもしれません。
その妄想は、コスチュームプレイからサディズム、マゾヒズムなど、これまで多くの好事家によって研究されてきた行為を彷彿とさせます。
マルキ・ド・サドの『ソドムの120日』を想起させる描写もあり、もしサド侯爵に絵画や漫画の才能があれば、『監獄学園』のようなコミックを描いたのではないか、と想像する読者もいるかもしれません。
このような過激な描写と、それを徹底的にコメディとして昇華させる手腕こそが、『監獄学園』の真骨頂と言えるでしょう。
衝撃の『監獄学園』最終回!ラストの展開を徹底ネタバレ
約6年間に及んだ『監獄学園』の連載は、多くの読者を巻き込みながら衝撃的なラストを迎えました。
最終巻では、キヨシと緑川花、そして栗原千代の三角関係の最後の顛末が描かれます。
さらに最終回では、妄想が関係性において具現化するという、コスチュームプレイの恐ろしさも垣間見える演出がされています。
最終回は「監獄プレイ」の極致だった!
緑川花は自分がキヨシに対して好意を持っていたことに気づいてしまいます。しかし、キヨシはその好意に全く気づいていません。
このキヨシの鈍感さによって物語がさらに続くのかと思いきや、実は緑川花は自分がキヨシのパンツを履いていることを暴露するという、驚きの行動に出るのです。
通常、人前で自分の性癖を暴露することはありませんが、これは「監獄」という特殊な空間だからこそ成立する、一種の「プレイ」であると解釈できます。
この「プレイ」をする上で、緑川花はキヨシのパンツがしっくりくることがキヨシに対する好意であることを「誤解」するのです。
閉鎖された狭い関係性の中で、自発的な暴露によって興奮が生まれるという構図は、客観的に見ている読者にとっては爆笑を誘うものでしょう。
しかし、この三角関係の修羅場を第三者が観察すれば、実際にはどこか白けてしまうようなニュアンスを伴う、という見方もできます。
「縞パン」が引き起こすカオス!アクロバティックなナンセンス性
緑川花は、彼らの見ている前でさらに自分が履いていたキヨシのパンツを脱いでしまいます。
そして、そのパンツをキヨシに投げつけ、「キヨシも自分(緑川花)と同じように自分のパンツ(縞パン)を履いているはずだ」と看破します。
もしかしたら、読者の中には、キヨシが緑川花のパンツ(縞パン)を履いていると予想した方もいるかもしれません。
そして、興奮した緑川花はキヨシのパンツを確認しようとして、ノーパン(ノー・パンツ、つまりパンツを履いていない状態を指す)のまま、アクロバティックな動きをして、キヨシが自分のパンツ(縞パン)を履いているかどうか確認しようとします。
三角関係の修羅場によって具現化されたかもしれない妄想を、自分の力で確認しようとするその姿は、まさに本作ならではのアクロバティックなナンセンス性が爆発した瞬間と言えるでしょう。
実際に確認してみると、キヨシはパンツ(縞パン)を履いていました。
これだけでも驚きの展開ですが、さらに股間から液体が噴出するという衝撃的な演出まで施されます。
このシーンは「最悪過ぎてトラウマを植え付けられても仕方がない」と評する声がある一方で、「ナンセンス過ぎて意味が非常に捉えづらい」と感じる読者も少なくありません。
この一部始終を見ていた栗原千代は、衝撃のあまり絶叫するのでした。
キヨシの切実な悩みと、物語が描く現代社会への問いかけ
この一連の出来事を、不幸と呼ぶか、幸福と呼ぶかは人それぞれでしょう。
しかし、いずれにせよ「最悪」であり「終了」であることには変わりありません。
キヨシの中には、「どうすれば良かったのか、もしかしたらその他の道も選べたのではないか」という「ある悔恨」が残りました。
結果的にキヨシは、入学早々女子風呂を覗いてしまった犯罪者という立場にあります。
彼が選ぶべき道は、もしかしたら自主退学という道だったのではないか、と考える読者もいるようです。
栗原千代はその後、裏生徒会の会長職に就任し、今後男性たちに対して厳しく罰則を与えていく道を選んだようです。
『監獄学園』のラストは一見すると厳しく見えますが、現在の性犯罪が生まれる元凶として、「男性に対して性がおおらかすぎるのも問題の一助になっているのではないか」という社会的テーマも垣間見える、という見方もできます。
女性が権力を持つフェミニズムに対する、男性らしい小さなアンチテーゼをも考えさせる、奥深い結末だったと考察する読者もいるようです。
『監獄学園』最終回が「打ち切り」だったという噂の真相は?
『監獄学園』が打ち切りによる終了だったという噂がネット上に流れていますが、その真相はどうだったのでしょうか。
まず、『監獄学園』は単行本の累計発行部数が1200万部を超える大ヒットを記録しており、「週刊ヤングマガジン」の看板連載作品でした。
そのため、「編集部が打ち切りにしたくてもできなかった」という噂も存在します。
これだけ売れた漫画家に対して、編集部が打ち切りを求めることは考えにくい、というのが一般的な見方でしょう。
その他、「エロスの描写が過激なため、最初は面白いといっていた読者がアンチ(作品を批判する読者)へと変化していったことが終了の原因」という説もあります。
しかし、作者である平本アキラのエロス描写は、連載が進むにつれてより過激に、そして頻繁になっていった傾向にあります。
このことから、「打ち切り云々というよりも、一読者には想像もできない何かがあったのではないか」「もしかしたら編集部の意向があったのかもしれない」と推測する読者もいるようです。
さらに、最終回で栗原千代が裏生徒会長になったことから、彼女が「ダークサイドに堕ちて終了した」ことに対して、「あまりにも物語展開が急すぎて最悪である」という声もあります。
しかし、逆に考えると、漫画の終わり方さえもパロディ化することで、カオス化した物語を最後まで「監獄の内側に閉じ込めておこう」という作者の強い意志が感じられます。
あくまで妄想でありフィクションの形式をとった高校生たちの、悪ふざけと悪あがきでしかないという終わらせ方は、平本アキラの高い画力があるからこそ描けた、ある意味誠実な終わらせ方だったと評価する読者もいるようです。
まとめ
いかがでしたでしょうか?
今回は『監獄学園』の衝撃的な最終回から、その終わらせ方や内容のネタバレ、そして打ち切りの噂の検証など、盛りだくさんの内容で紹介させていただきました。
賛否両論を巻き起こした最終回ですが、そのナンセンスさと、作品全体のパロディ精神を貫いた唯一無二の結末は、多くの読者の記憶に深く刻まれていることでしょう。
この漫画は、アニメ化や実写ドラマ化もされている作品ですので、興味を持たれた方は、ぜひメディアミックスされた他の作品もお楽しみください。

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