Netflixで配信されたドラマ『今際の国のアリス』シーズン3は、待望の続編として世界的に大きな注目を集めました。
しかし、蓋を開けてみると、「前のシーズンよりつまらない」「展開が微妙だった」といった、厳しい評価や違和感を覚える声が少なくありません。
なぜ、あれほど高い評価を得ていたシリーズが、完全オリジナル展開となったシーズン3で、多くの視聴者を戸惑わせてしまったのでしょうか。
本記事では、『今際の国のアリス』シーズン3が「微妙」「つまらない」と感じられた具体的な理由を7つに分けて徹底的に掘り下げます。
さらに、物語の解釈を深める“補足視点”も含め、視聴後に残ったモヤモヤを整理し、期待と現実の狭間で揺れた物語の構造的な問題を考察していきます。
- 全体を通して感じた“ひっかかり”の整理
- 浮遊する補足情報と解釈の混乱
- 総括:期待と現実の狭間で揺れる物語
- まとめ
全体を通して感じた“ひっかかり”の整理
「つまらない」と一言で片づけるには惜しいほどの情熱的な批判が寄せられるのは、それだけ視聴者の期待値が高かったことの裏返しです。
多くの視聴者がシーズン3を観て抱いた“心の引っかかり”は、主に以下の点に集約されます。
あの緊張感はどこへ──序盤からの“温度変化”
シーズン1で人々を惹きつけたのは、「いつ、誰が、なぜ死ぬか分からない」という極限状態の理不尽な恐怖でした。
しかし、シーズン3ではその“息詰まる空気”が薄れ、どこか穏やかで静かすぎる空気が漂っていたと感じる視聴者が多かったようです。
つまらない理由①:失われた“げぇむ”の緊張感
Netflix版今際の国のアリスシーズン3の冒頭を観た際、まず多くの視聴者が感じたのは「いつもの“息詰まる感じ”がない」という違和感でした。
命を懸けた“げぇむ”が始まったはずなのに、画面から漂うのはどこか穏やかで、静かすぎる空気でした。
序盤の展開と理不尽さの描写不足
第1話冒頭で、キャラクターたちが再び“今際の国”に引き戻される描写はあったものの、その導入におけるスリルや不条理感が、明らかに前シーズンに比べて弱まっていたと指摘されています。
初見の衝撃や恐怖を思い出そうとしても、「あれ、こんなにテンポ遅かったっけ」と感じてしまったという声も聞かれます。
たとえばシーズン1では、突然の理不尽と死の予感に、視聴者も“参加者”のように緊張しましたが、シーズン3では、最初から説明と“整った構図”が目立ってしまい、恐怖の中に巻き込まれる感覚が薄れてしまいました。
説明的なシーン優先と感情の距離感
序盤からキャラ同士の会話が多くなり、過去の回想も交えてゆったりとしたテンポで進む傾向がありました。
これは、“げぇむ”の核心に触れる前に、視聴者が“現実”に引き戻されてしまうような感覚を与えてしまったという見方があります。
つまり、恐怖の中に巻き込まれる前に心の準備ができてしまい、「いつ誰が死ぬか分からない」というシリーズ特有の緊迫感が消えてしまったのです。
ゲームはただの“舞台装置”になり、ドラマの背景として扱われる印象を受け、アリス(演:山﨑賢人)も、シーズン1では混乱と葛藤を露わにしていたにもかかわらず、今回はどこか“冷静すぎる”ように映り、緊張の感情共有を奪ってしまったと考察されます。
謎を感じる余白が減った構造的問題
さらに、“げぇむ”のルールや背景が過度に説明されてしまっている点も、緊張感を削いだ要因として指摘されています。
謎が謎のまま進むことで引き込まれていた展開が、今回は“丁寧すぎる解説”によって台無しになり、“考察する楽しみ”すら減ってしまったと考える読者が多いようです。
つまらない理由②:主人公・アリスの迷走
シーズン3におけるアリスは、前のシーズンで積み上げてきた“葛藤する主人公”という軸を、時に見失っているように映ったという批判が目立ちます。
葛藤と迷いの描写が浅くなったズレ
特に中盤以降、アリスの行動や決断に「本当にこの人物の内面から出てるの?」という疑問を抱く場面が目立ちます。
たとえば、あるゲームで仲間の意見と真反対の選択を突如採用するシーンでは、アリスの苦悩や“これまでの価値観との衝突”を見せたい意図はわかりますが、視聴者から見るとその背景が不十分で、唐突感が強いという指摘です。
成長か停滞か、説得力を欠く言動
シーズン2までのアリスは“行き当たりばったりながらも判断力を持ち、人を守ろうとする姿勢”が強調されていました。
しかしシーズン3では、同じ状況で矛盾した選択肢をとったり、他キャラと対立してもフォローする描写が弱かったりするため、「この場面でこうするのは彼の性格じゃない」と感じてしまう視聴者も多いようです。
シーズン2以前のアリス像との乖離
「過去との和解」「葛藤の昇華」「犠牲と救済」などのテーマは用意されているものの、それを繋ぐ心情の伏線が薄いという問題があります。
徐々に変わっていく過程よりも、「次はこうなるだろう」という前提を先に出してしまう構成が目立ち、“アリス像のズレ”に関する指摘がレビューで散見されました。
演出意図の仮説:複雑な心理変化と描写の不足
制作側は複雑な心理変化を見せたいあまり、描写が飛んだ可能性が考えられますが、主人公に寄り添えなければ、物語に深く入れなくなってしまいます。
成長と停滞、その境界を曖昧にしてしまったアリスの描写は、「本来見たかったアリス像」が遠ざかってしまった違和感を残したと分析できます。
つまらない理由③:ウサギの存在感の変化と恋愛要素の扱い
ウサギ(宇佐木柚葉/土屋太鳳)は、アリスの相棒であり精神的な支えである重要なキャラクターでした。
しかしシーズン3では、ウサギの「存在感」が相対的に薄まったという意見が多く見られます。
ウサギの活躍シーン減少と物語への影響力
まず目につくのが、ウサギが主導的に動く場面が減った点です。
過去シーズンでは、ウサギが前線に出て判断を下したり、リスクを取って行動することもあったにもかかわらず、今回はアリス中心の構成が強く、ウサギが“伴走者”に徹する印象が強かったと考察されます。
恋愛描写の偏重と“げぇむ”要素との乖離
アリスとウサギの恋愛関係が物語上の重しになろうとしている描写も多く、“げぇむの理不尽さ”や“命をかけた対峙”と並置すると、どこか釣り合いが崩れやすくなるという問題がありました。
「恋愛に偏って、緊張感がそがれた」という視聴者の声も散見され、恋愛とサバイバルのバランスを欠いた結果、どちらも中途半端になってしまったという見方が有力です。
ウサギの心情変化が唐突に感じられる場面
ある場面では、ウサギの感情変化が急激すぎて、「なぜ急にこう思った?」と感じる瞬間もありました。
アリスに対する不信や距離を置く態度を急に見せたり、以前の信頼関係を無視するような言動をするなど、つなぎの描写が弱いと感じられます。
つまらない理由④:“ビーチ”以降のキャラたちの活かし方に違和感
“ビーチ”編を経由してから、物語には次々と新しい登場人物たちが現れましたが、彼らが“装飾”にとどまるような扱いを受けてしまっている印象が強いという指摘があります。
登場キャラ数の増加と役割の薄さ
期待されたのは、彼らがそれぞれの背景や動機を持ち、物語に厚みを与えることでしたが、実際には新キャラのバックボーンが浅く、動機が弱い場面が目立ちました。
不穏な過去を仄めかされながら登場する人物が、物語が進むにつれてその過去が回収されず、ただの駒として消えていく場面が目立ったため、視聴者としては「なんでこの人物が突然あそこに?」という違和感を抱きやすいのです。
新キャラの動機が浅く、群像劇の均衡崩壊
主要キャラとの絡み方も雑になることがあり、本来は人間関係の葛藤や信頼の綻びを見せるために導入されるはずの脇役たちが、行動が浅く見えると、ストーリーがフラットになってしまいます。
群像劇的な構成は魅力的になりうるものの、キャラが多すぎると、焦点が分散し、結局“物語の核”が見えにくくなるという問題がシーズン3では際立っていました。
キャラを捌き切れず、焦点がぼやける構成上の問題
「登場人物が多すぎて覚えきれない」「この人、最初しか出てこなかったな」といった声がレビューで見られ、特定キャラクターの動機や心理変化が弱いため、ストーリー上の因果関係もぼやけてしまったと批判されています。
つまらない理由⑤:新キャラ・キューマとミラの描き方に足りなかった“重さ”
シーズン3では、キューマ(クラブのキング役)やミラといった新旧キャラクターが、物語上の転換点として導入されていますが、彼らが“重み”を持って語られているようには感じられなかったという意見があります。
キャラ起用の狙いと背景説明の断片的描写
キューマはシリーズ前作・前シーズンで既に存在感のあるキャラクターでしたが、シーズン3ではその影響力を期待させつつも、動機や信念の掘り下げが中途半端に終わっているように思えます。
ミラについても登場のインパクトは強いものの、過去背景や抱える葛藤について描写が断片的であり、結果的に“キャラクターの影”となってしまっている印象が残ります。
動機・信念に説得力不足と物語への関与度
ある場面でキューマがアリスに向かって“警告めいた言葉”を放つシーンも、それがどれほど苦悶の末なのか、あるいは信念からなのかが曖昧なまま先端へ進んでしまい、「この言葉は本心か?単なる演出か?」という疑問が浮かんでしまいます。
また、新キャラ・ミラをはじめとしたキャラクター同士のつながりや対立構図が、主要ストーリーとしっかり結びついていないため、「そこに出ているだけ」になりがちで、観る者に“存在感”より“雑さ”を印象づけてしまいました。
シーズン3で“存在感”より“雑さ”を印象づけた理由
視聴者レビューでも、「キューマはいかにも重要そうに出てきたけど中身が薄い」「ミラの動機がぼんやりしていてただのアクセントにしか思えない」という声が挙がっており、キャラクターを増やす試みは歓迎されるものの、“説得力ある存在感”と“主要筋との密接な絡み”が不足していたと分析されます。
つまらない理由⑥:世界観のルールが曖昧になった“げぇむ”構造
シリーズの魅力は、理不尽さと緻密なルールの狭間で生じる駆け引きにありますが、シーズン3ではその“ルールの硬度”が揺らいでしまったという指摘が最も多く聞かれます。
ルール、勝利条件、罰則の提示に生じたブレ
ある「げぇむ」では明確な勝利条件や失敗条件が提示されていないまま進んでいき、“仮定のルール”で展開してしまうことがありました。
これ自体が悪いわけではありませんが、視聴者の理解とのズレが生じやすく、「このゲームは何が勝ちなの?」「どういう条件かよく分からない」といった混乱を招きました。
ゲーム中の例外処理や“裏ルール”の多発
途中で“裏ルール”や“例外的措置”が突然挿入されることが目立ちました。
たとえば、「この状況では通常なら○○というルールだが今回はこう扱われる」というような説明が後付けされ、それが展開に大きく影響するのです。
最初からその可能性を示唆しておくならともかく、突然登場すると、「なんでもあり」になってしまい、どこまで予期できて、どこからが作者の“ご都合”なのか区別がつきにくくなると批判されています。
後付け説明による展開との齟齬と論理性の犠牲
説明のタイミングにも難があり、状況が進んでから「あ、実はこういうルールでした」という解説が挟まれると、視聴者は“先に見たシーンとの齟齬”を感じてしまいます。
本来、スリルと説得力を両立させるべき構造が、途中で“曖昧さ”という逃げ道に補強されてしまった印象を受け、論理性を犠牲にした可能性が指摘されています。
個別ゲームのルールと設定の酷評
特に、シーズン3で登場した個々のゲームのルール設定や抜け穴については、多くの視聴者から「ツッコミどころしかない」という厳しい意見が寄せられました。
ばばぬき:ジョーカーを最後まで持つという逆転ルール
リュウジを含め計7人が参加した「ばばぬき」は、ジョーカーを最後まで持ち続ければ勝ちという、従来のババ抜きとは逆のルールでした。
設定としては面白いものの、ゲーム自体の緊張感が薄く、「どうせアリスとウサギは生き残る」という視聴者の前提を覆すほどの心理戦の深掘りには至らなかったという評価があります。
おみくじ:火矢の回避設定と屋台の穴
アリスらが参加した「おみくじ」は、正解との誤差の数だけ火矢が飛んでくるというルールでした。
しかし、主要キャラが屋台に隠れて火矢を避ける演出について、視聴者からは「障害物を火矢の盾にできるなら、答える前に全員屋台の中に隠れておけばよくない?」という素朴な疑問が続出しました。
この「屋台の穴」は、ゲーム構造の緻密さが失われた象徴的なシーンだと指摘されています。
ゾンビ狩り:ルール提示段階での「ゾンビ化必勝」の穴
アリスが参加した「ゾンビ狩り」は、人間とゾンビの総数が多いほうが勝ちというルールでしたが、数学ができる人ならゾンビを増やせば確実にクリアできると即座にわかると指摘されています。
「目の前で人が死ぬのが観たいサイコパス」が紛れ込んでいない限り、最初の段階でみんなでゾンビになろうと結託すれば全員生き残れたはずで、「ゾンビ化必勝」というルール設計の甘さが批判されました。
暴走でんしゃ:運ゲー化と非合理的な行動の描写
ウサギとリュウジが参加した「暴走でんしゃ」は、毒ガスが出る車両を避けながら先頭車両を目指すゲームでしたが、「毒ガスが出るか出ないか」の運要素が強く、ゲーム性がないと酷評されています。
さらに、「窓開けようよ」「先に死んだ数名のガスマスクと酸素ボンベを持って行けば生存確定だったのに、なんでそうしないのか疑問」という非合理的な行動が目立ち、「ルールの不備を指摘しているように見せ掛けている」という皮肉な感想も見られました。
缶蹴り:敵チームを無力化できるというルールの穴
アリスのチームが参加したセミファイナル「かんけり」は、暴力は禁止されておらず、缶の奪い合いやタックル、格闘はもちろん、首絞めなどで他の参加者に危害を加えてもペナルティがないルールでした。
このルールに対し、「とりあえず相手チーム全員の足の骨を折っておけば良かった」「相手チームを身動きが取れない状態にしてから缶蹴りのゲームに興じれば良いのでは?」という抜け道が容易に考えられ、ゲームの設計意図が不明瞭だったと指摘されています。
ミライすごろく:未来映像の意味不明さとルールの不透明性
jokerとの最終「GAME」である「ミライすごろく」は、未来の映像がごちゃごちゃしていて見づらかったうえに、「なぜその未来が確定するのか意味もわからない」と批判されました。
さらに、バンダがアリスを国民にしたいがために、部屋に残ったアリスだけがクリア!とルールを捻じ曲げているように見える展開も、「イラッときた」という感想につながっています。
つまらない理由⑦:最終決戦の演出がもたらした“置いてけぼり感”
物語を締めくくるはずの最終決戦ですが、シーズン3ではその演出が逆に物語との距離を感じさせてしまう瞬間が少なくありませんでした。
最終決戦の“盛り上げ”と“提示”のバランス崩壊
クライマックスに向けて劇的な仕掛けや予想外の展開が投入されますが、それらがキャラクターの思考や背景とリンクしないまま進むシーンが目立ちました。
派手な演出だけが先走り、「なぜこの選択?」「どうしてこの人物がこの場に?」という疑問を観る側に残してしまいました。
派手な演出に比して感情の連続性が失われた展開
キャラクターの“覚悟”や“犠牲”といったテーマを描くためには、丁寧な感情の積み重ねが必要ですが、シーズン3ではその積み重ねが不足しています。
あるキャラが命をかける覚悟を示すべき場面で、前段階の心の揺れがほとんど描かれず、ただ決断だけを提示されたように感じられるため、「盛り上がるはずの場面なのにテンションが置いてけぼり」という声が多数挙がりました。
キャラクターの覚悟や犠牲が説得力を持たない理由
最終決戦の構図において、複数の人物・勢力が交錯する描写が多くなる際、それぞれの思惑や動機の整理が追いつかない場面があります。
視点の切り替えや情報の挟み込みが途切れ途切れになり、「誰が誰と戦ってるんだっけ?」と一瞬迷ってしまう瞬間があり、盛り上げたい意図と物語との整合性がぶつかって、視聴者を“置いてけぼり”にしてしまうラスト展開になってしまったと分析されます。
浮遊する補足情報と解釈の混乱
物語の核となるべきキャラクター設定や、結末の解釈についても、多くの視聴者が違和感や混乱を覚えました。
リュウジの人物設定とウサギの行動への批判
新キャラクターのリュウジ(松山隆二/賀来賢人)は、死の世界の研究に没頭している車椅子の大学助教授という設定でしたが、その人物設定がフワッとしすぎでひどいという意見が見られました。
リュウジの動機の不明確さとフワッとした設定は、物語のトリガーとしての役割を果たすには説得力が欠けていたと指摘されています。
リュウジの動機の不明確さとフワッとした設定
リュウジの行動の動機が、「死の世界から誰かを連れ戻したいのかと思いきやただの興味本位かい!」という疑問を生むほど曖昧でした。
彼の行動の背景にある過去の事件(生徒の死と自身の事故)が、「死の世界に憧れる」という行動原理に直結しているのか、視聴者に明確に伝わらなかったのです。
妊娠中のウサギの安易な死の旅への出発
ウサギの行動も批判の的になりました。
妊娠初期であるにもかかわらず、「お父さんに会える!」と言われたのだろうけど、旦那のアリスに何も言わずに死の旅に出るのはどうなの?という疑問が提示されました。
これは、命の重みがテーマとなるシリーズにおいて、主要キャラクターの行動原理が軽率に映ってしまったことを意味します。
記憶回復後のアリスと他キャラの感情描写の不足
アリスもウサギも他のキャラも、忘れていた前回ゲームの記憶を思い出してどう感じたのかが詳しく描かれていなかったのも残念な点です。
生死を乗り越えた経験の記憶の重みや、再び同じ世界に引き戻された絶望や覚悟といった感情の深掘りが不足していたと指摘されています。
補足①:夢オチと受け取られかねないエンディングの問題点
最終話ラストシーンは、アリスたちが“現実”のような場所で目覚める描写があり、「今際の国での出来事は夢だったのか?」と捉えられても不思議でない空気が漂いました。
隕石落下、意識の揺らぎ、昏睡状態といったフックが交錯することで、ラストを“夢オチ”と解釈されやすくしてしまったのです。
現実と意識世界の曖昧な構図
制作側は「臨死体験」「意識世界」「昏睡中の闘い」というテーマを掛け合わせていたようですが、物語内でそれを丁寧に紐解く場面が少なかったため、「どこまでが現実で、どこからが意識世界なのか」の境界線が曖昧になってしまいました。
努力や感情が無意味に思える“夢オチ”解釈
結果として、視聴者の中には「全部夢じゃん」「努力や犠牲が全部無駄だったように思える」と受け取る人が出てきました。
壮大な構想を提示したうえで、説明を迫らず曖昧に終わらせるのは、見ている側にとって頼りなさを感じさせてしまうという批判は避けられません。
最終回でのジョーカー登場と演出の違和感
最終回に渡辺謙が演じるジョーカーが登場したシーンについても、賛否両論の意見が寄せられています。
渡辺謙が演じるジョーカーの正体と意味の曖昧さ
ジョーカーの正体は「生と死の隙間を埋めるこの世界の番人」らしいと語られましたが、「渡辺謙を出せばドラマの格が上がると思ってる?」という辛辣な意見も聞かれました。
ジョーカーが「誰かを指すのではなく、生と死の境目を埋める存在だ」と語っていたことから、ジョーカー=今際の国自体と考えることもできますが、シェイクスピアの舞台のような雰囲気が、これまでのシリーズのトーンと異質に感じられたという指摘もあります。
浮遊する補足設定:ジョーカーと時間の関係性
ジョーカーが語った「トランプの数字を全て合計すると364枚、ジョーカーを足せば365で人間界の1年の日数と同じ」という設定は、ジョーカーが人間の時間、生死の隙間に介在して世の中を成立させている存在だと示唆しています。
しかし、この哲学的な設定が、物語のアクションや感情の連続性と上手く結びついていなかったと感じる視聴者もいました。
補足②:『今際の国のアリス』が失った“原作との距離感”
シーズン3が原作漫画が完結していたことを踏まえて制作されたオリジナル展開が主であることは、原作ファンにとって“距離感”を感じさせる結果につながりました。
原作への期待:漫画版の哲学性・謎解き要素・読後の余韻
原作版は、デスゲームの恐怖と人間の本質、存在論的問いかけを重ねながら進む作品であり、読者は謎と哲学、キャラクターの選択の先にある“問い”を持ち帰ることが多かったのです。
しかしドラマ版シーズン3では、その“問い”よりもドラマ性・演出性・映像効果が重視され、原作が持っていた余白や問いかけの深さが薄まった印象があります。
改変の度合い:原作完結後のオリジナル展開が主
原作に登場した要素やキャラクターをドラマで回収する場面はあるものの、それが“改変前提”で行われていることが多く、原作と同じ流れを予期していたファンとしては、「ここは原作と違うのか」という裏切り感や違和感を抱きやすくなりました。
読者・視聴者の違和感:原作ファンから「これじゃない」「筋が変わった」という反発
海外の反応でも、シーズン3に関して「これは原作漫画の正史ではない」という批判が散見され、多くの視聴者は、原作の枠組みを踏襲しつつも“変化”を加える形を期待していましたが、今回の改変量は期待を超えてしまったようです。
総括:期待と現実の狭間で揺れる物語
ここまで7つの“つまらない理由”と、理解を補う2つの補足視点、そして個別ゲームの酷評を見てきました。
振り返ると、シーズン3で失われたのは「見る者を作品世界に巻き込む力」だったように思われます。
全体のまとめ一覧表:シーズン3で“つまらなさ”が生まれた要因
つまらない理由① | “げぇむ”の理不尽さや緊張感が初期ほど感じられなかった |
つまらない理由② | アリスの成長や感情変化が雑に見えて共感が薄れた |
つまらない理由③ | ウサギの存在感が弱まり、恋愛パートが浮いて見えた |
つまらない理由④ | 新旧キャラのバランスが崩れ、人物描写が散漫に |
つまらない理由⑤ | 魅力的な新キャラの活躍が浅く、印象に残りづらい |
つまらない理由⑥ | ゲームのルールや世界観が後付けで破綻していた |
つまらない理由⑦ | 最終戦の演出と感情の温度差が大きく、置いてけぼり感が強かった |
補足① | エンディングが“夢オチ”のように見え、余韻が薄れた |
補足② | 原作からの逸脱が大きく、“これは違う”と感じたファンも |
期待と現実の狭間で揺れる物語の総括
シーズン3では、「見る者を作品世界に巻き込む力」が弱まってしまいました。
序盤から張られたはずの“命懸けの危機”は、説明優先・回想重視の構成に消されてしまい、緊張感の核は薄れました。
主人公アリスの迷走、ウサギの扱いの変化、新キャラたちの重みの不足──いずれも、物語を引きつけるはずの“心の芯”を揺らす原因となりました。
本記事まとめ:シーズン3が“微妙”と感じられる7+2の理由──期待と現実の狭間で揺れる物語
シーズン3が視聴者を戸惑わせた要因を再整理します。
① 緊張感の喪失
序盤から“げぇむ”の理不尽さ・恐怖感が希薄化してしまい、「ただのドラマに戻った感じ」という感想につながりました。
② アリス描写のズレ
成長描写が浅く、言動の一貫性が崩れる場面もあり、主人公に寄り添えなくなった視聴者が増えました。
③ ウサギの扱いの変化
存在感が薄くなり、恋愛要素の傾斜が強まることで、サバイバルドラマとしての緊張がそがれました。
④ キャラ増加の弊害
“ビーチ”以降の多数キャラが活かされず、人物描写が散漫になり、物語の焦点がぼやけました。
⑤ 新キャラの重み不足
キューマ・ミラなどが役割だけ大きく中身が薄いため、「存在感だけ大きくて中身が薄い」という指摘につながりました。
⑥ ルールの曖昧化
ゲーム構造・勝利条件などにブレと後付け説明が多数あり、「なんでもあり」に見えて論理性が崩壊しました。
⑦ 最終決戦の置いてけぼり感
演出は派手ですが感情と整合性が追い付かず、「盛り上がるはずの場面なのにテンションが置いてけぼり」という状況を生み出しました。
浮遊する補足① 夢オチの解釈揺れ
結末が“夢か現実か”の曖昧な構成となり、「努力も感情も消えた?」という視聴者混乱を引き起こしました。
浮遊する補足② 原作との距離
原作へのリスペクトと改変との差異が厚みにズレを生み、「変わりすぎて別物になった」と感じたファンも多かったのです。
このまとめを通して、シーズン3に感じた“温度の揺れ”が、あなた自身の観賞体験と重なっていたならば幸いです。
まとめ
『今際の国のアリス』シーズン3は、圧倒的な映像美と豪華キャストという魅力的な要素を持ちながらも、脚本と設定の粗さにより、多くの視聴者に「微妙」「つまらない」という印象を残しました。
特に、ゲームルールの穴や主人公の感情描写の不徹底、そして「夢オチ」とも解釈されかねない曖昧な結末は、シリーズとしての信頼感を揺るがすことになりました。
しかし、アリスがウサギと子どもを生かすために自らを犠牲にしようとする愛の決意や、ジョーカーが語った「生と死の隙間を埋める存在」という哲学的なテーマは、物語に深みを与えようとした制作側の意図を示すものです。
このシリーズは、続編として『今際の国のアリス USA』やシーズン4の可能性も示唆されており、この経験が物語の方向性を再考し、再び世界を熱狂させる作品として戻ってくることを、多くのファンが願っていると考えることができます。
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