
原泰久先生による大人気漫画「キングダム」は、累計発行部数1億1千万部を突破し、多くの読者を魅了し続けています。
物語の舞台は古代中国の春秋戦国時代末期。
この激動の時代に覇を競い合った戦国七雄、すなわち魏、韓、楚、趙、燕、斉、そして秦。
作中では、若き秦王・嬴政が史上初の中華統一を目指し、武将・李信と共に戦乱の世を駆け上がっていく壮大な物語が描かれています。
特に注目すべきは、秦がどのようにして六国を滅ぼし、中華統一を成し遂げたのかという歴史の流れです。
この記事では、戦国七雄それぞれの歴史と代表的な武将について深掘りするとともに、秦の躍進、そして既に滅亡した「韓」の運命とその後の展開まで、最新情報も交えながら徹底的に解説していきます。
「キングダム」の世界をさらに深く楽しむためのガイドとして、ぜひ最後までお楽しみください。
「キングダム」を彩る戦国七雄とは?
「キングダム」のモデルとなっている戦国七雄とは、中国の春秋戦国時代に強大な力を持った七つの国を指します。
戦国時代に突入すると、それまで周王と楚王のみが名乗っていた「王」の称号を、戦国七雄をはじめとする各国の君主たちも自称するようになり、群雄割拠の時代が本格化しました。
以下では、古代中国に台頭した戦国七雄の概要と、作品の背景となる「キングダム」について改めてご紹介します。
「キングダム」作品情報とあらすじ
原泰久先生の漫画「キングダム」は、2006年から「週刊ヤングジャンプ」で連載が始まりました。
2025年3月には最新刊となる75巻が発売されており、その勢いはとどまるところを知りません。
本作は、2013年に第17回手塚治虫文化賞・マンガ大賞を受賞し、その高い評価が確立されています。
アニメシリーズは2012年から放送が開始され、2024年1月には第5シリーズの放送が始まるなど、長期にわたってアニメファンを魅了し続けています。
また、2019年4月には実写映画が公開され、続編も次々と制作されるなど、その人気は多方面に広がっています。
物語のあらすじは、春秋戦国時代末期の秦に生まれた李信が、若き秦王・嬴政との出会いを機に、天下の大将軍を目指して戦乱の世に身を投じるというものです。
同時に、史上初の中華統一を目指す嬴政も、秦国内の政争を勝ち抜き、野望を実現すべく、大国である六国と覇を競い合います。
読者は、信の成長と嬴政の中華統一への道のりを、壮大なスケールで追体験できるのが「キングダム」の大きな魅力と言えるでしょう。
戦国七雄を代表する武将たち
中国の歴史上の人物をモデルに描かれた「キングダム」の登場キャラクターたちは、それぞれが才能と人間味あふれる設定で、読者を深く惹きつけています。
ここでは、名だたる武将が台頭した古代中国・春秋戦国時代から、戦国七雄を代表する武将たちを厳選してご紹介します。
王翦(秦):天下統一を支えた稀代の将軍
「キングダム」の主要舞台である秦では、数々の名将が名を連ねていますが、その中でも秦の中華統一を決定づけた王翦の存在は欠かせません。
彼は同僚である白起には及ばないと謙遜しつつも、持ち前の慎重さで秦王政の警戒心を解き、戦国七雄の趙や楚を滅亡に追い込むという輝かしい戦績を残しました。
王翦は、君主の猜疑心の強さや冷酷さを理解するなど、洞察力に優れていました。
自身の老いを理由に一度は引退を申し出たという逸話も残されており、その賢明さが伺えます。
その後、秦軍が楚の攻略に苦心した際には、秦王政から将軍への復帰を要請され、楚の平定後も慎重な姿勢を貫き通し、武将としては数少ない天寿を全うすることができました。
秦の中華統一には、王翦の活躍がなくては実現できなかったと考える読者も多く、秦の偉大な武将に相応しい人物と言えるでしょう。
項燕(楚):広大な楚を護った猛将
戦国七雄で最大の領土を誇った楚は、その広大さゆえに争いが絶えず、隣国・秦によって滅ぼされかねない状況にまで陥っていました。
しかし、項燕の台頭により形勢は逆転します。
「キングダム」ではまだ名前のみの登場ですが、項燕は代々将軍を輩出してきた楚の名家出身であり、紀元前225年には秦軍20万を迎え撃ち、全滅させたという輝かしい功績を残しました。
その後、項燕は函谷関へ軍を進め、秦の都・咸陽の陥落に取り掛かります。
しかし、秦側では秦王政の要請で前線に復帰した武将・王翦の登場により、楚は窮地に立たされます。
その後、秦の全兵力に相当する60万の大軍を相手に戦うも、項燕と楚王の戦死をもって、楚は滅亡しました。
一方、項燕の孫である項羽は、後に秦を滅亡させる武将として知られており、楚と秦の数奇なつながりを感じさせるでしょう。
田単(斉):知略で国を救った市場の役人
斉の武将・田単は、楽毅の侵攻で滅亡寸前まで追い込まれていた斉の危機を脱することに成功した知将です。
田単は元は市場の役人という異色の経歴の持ち主ですが、安平からの脱出時の混乱を予測して馬車の車輪を鉄で強化し、脱出に成功した知略を買われて、即墨の司令官に抜擢されました。
同時に、新たな燕王・恵王の即位を聞きつけると、楽毅との仲を察して、燕の間者へ楽毅が燕王の座を狙っていると吹聴し、燕から追放させることに成功します。
また、楽毅に代わり騎劫が将軍に就任すると、偽情報を流して即墨の士気を高め、同時に偽りで降伏の使者を燕に送ることで敵方の兵士を油断させ、夜襲を仕掛けます。
これにより、燕の司令官・騎劫は戦死し、燕軍は国境を追われると共に、斉は奪われた全ての領地を取り戻すことに成功しました。
武将の中では異色の経歴を持つ名将ですが、知略の面では田単の右に出る者はいないという見方もあるでしょう。
楽毅(燕):合従軍を率いた智勇兼備の将
燕の武将・楽毅は、中山国の出身で、楽羊の子孫と言われています。
はじめは趙での仕官を考えていたものの、趙国内の後継者争いを受けて、魏に仕えました。
その後、燕の昭王の噂を聞きつけると、魏の使者として燕に向かい、厚遇で知られる昭王に仕官します。
楽毅の功績と言えば、各国の斉王に対する恨みを利用して合従軍を結成させ、破竹の勢いで斉の城を次々と陥落させたことは、欠かせないでしょう。
そして、斉を滅亡寸前まで追い込んだ楽毅の勢いは、斉の武将・田単の登場によって打ち砕かれ、後に田単の計略により、楽毅は燕を追放されました。
信陵君(魏):危機を救った智勇の人
秦と並ぶ強国であった魏では、呉起を始めとする有能な武将を多数輩出した国でもあり、その中でも昭王の公子・信陵君が、代表的な武将の一人です。
信陵君は、王を補佐する立場にありながら、知力、人望はもちろん、武力にも優れた優秀な王族でした。
それゆえに兄である安釐王からは警戒されており、長らく政治から遠ざけられていました。
信陵君の活躍といえば、紀元前259年に起きた、秦による趙の首都・邯鄲の包囲において、兄王の援軍が見込めない中、自ら魏軍を指揮して、秦軍による包囲の解除・撤退を成功させたことは外せません。
これらの功績により、紀元前248年に魏に戻ることができ、燕、韓、趙、楚、斉の軍をまとめ上げて秦軍の撃破・函谷関の西に押し込むという大きな成果を出します。
しかし、信陵君の活躍は、魏の兄王だけでなく、秦からも警戒されるようになります。
そして、秦の計略に嵌った兄王に疎まれた信陵君は、失望のあまりお酒に溺れる日々を送り、後に病死しました。
魏の名だたる武将の中でも、ここまで秦を追いつめた信陵君の手腕は侮れないと考える読者も多いでしょう。
申不害(韓):最弱国を支えた宰相
戦国七雄でもっとも最弱とも評される韓は、強国・秦や魏の侵攻に脅かされ続けました。
しかし、宰相・申不害が活躍していた時期は、秦国すら韓への侵攻を許さなかったと伝えられています。
申不害は身分が低かったものの、師により釐侯に推挙され、後にその能力を認められ、紀元前355年に韓の宰相に抜擢されました。
厳格な法による公平な政治を推進した申不害の采配により、韓の国力は増大し、隣国に領土を奪われることはなかったと記録されています。
一覧で紹介している武将に比べて派手さはないものの、最弱国の存続に貢献した申不害は、卓越した才能を持った武将の一人と言えるでしょう。
李牧(趙):守戦の天才と悲劇の末路
趙の武将と言えば、「キングダム」では、三大天と称される廉頗、趙奢、藺相如が思い浮かぶでしょう。
しかし、長平の戦いでの敗北を機に、衰退の一途を辿る趙に台頭した李牧も外せません。
李牧は北方の匈奴の守備を担っていた雁門の長官であり、紀元前234年に悼襄王の命で中央政治に携わります。
そして翌年には、秦の将軍・桓騎を撃破し、趙、韓、魏の領土を秦から奪うなど、その手腕をいかんなく発揮しました。
このように、優秀な人材を多数起用していた秦に対して、対等な戦いを繰り広げてきた李牧でしたが、最期は秦に買収された郭開により、趙王への謀反を疑われ謀殺されました。
李牧の死による急激な弱体により、趙は滅亡します。
司馬遷の「史記」では、守戦の名将と評価されており、李牧が殺害されることが無かったら、その後の歴史は大きく変わっていたと考える読者も多いようです。
戦国七雄の国の歴史一覧:秦、楚、斉
古代中国を舞台に覇を競い合った戦国七雄の戦いは、秦王政、後の始皇帝の勝利に終わり、秦との戦いに破れた他六国は、次々と滅亡の道を辿りました。
以下では、古代中国・戦国七雄の国の歴史から、秦、楚、斉をご紹介します。
秦:中華統一を成し遂げた始皇帝の国
戦国七雄の一つである秦は、「キングダム」の主人公・李信と、嬴政(後の始皇帝)の出身国であり、地理上では西方に位置する戦国七雄で最も古い国です。
秦の誕生は紀元前770年代までさかのぼり、周の幽王が申候の反乱や都を鎬京から洛陽に移る際の働きぶりが認められ、春秋時代の到来と同時期に諸侯に封じられ、春秋五覇にも数えられます。
戦国時代には、戦国七雄に数えられるものの、人材不足や領土の縮小により、他の国と比べて勢力が劣っていた時期もありました。
しかし、25代・孝王の時代に中央集権体制を採用したことで、他六国を圧倒する軍事力を確保しました。
秦王・政が即位したのは紀元前247年で、まだ13歳だったことから、政治の実権は宰相・呂不韋の手にゆだねられていました。
紀元前241年の函谷関の戦いでの勝利や、成蟜、母・趙姫と愛人・嫪毐による反乱を経て、呂不韋の失脚をもって実権を取り戻した政は、秦の中華統一に向けて本格的な行動に出ます。
そして、紀元前236年に趙の鄴を陥落させたことを皮切りに、韓、趙、魏、楚、燕を次々と滅ぼし、紀元前221年の斉の滅亡をもって、秦は史上初の中華統一を成し遂げ、王を超える称号「始皇帝」が誕生しました。
しかし、秦王朝の繁栄は、始皇帝の死後まもなく衰退し、宦官・趙高による二世皇帝の傀儡政治や、陳勝・呉広の乱を発端とする動乱により、紀元前206年に秦は滅亡します。
それは、始皇帝の死からわずか4年後の出来事で、秦の統一期間はわずか15年でした。
楚:南方の大国、壮絶な最期
戦国七雄の二つ目である楚は、現在の湖北省・湖南省を中心に勢力を拡大した南方の大国です。
楚の成立は古く、周の時代から王を名乗り、紀元前597年の邲の戦いで晋を破り、覇者に任命されたことで、時の王・荘王は春秋覇者の一人に数えられています。
戦国時代に突入すると、旧体制を原因とする国力の衰退や、臣下らの権力闘争により、弱体化が進行していました。
一時は、宰相・呉樹の政治改革により回復の兆しが見えたものの、紀元前278年には首都・郢を落とされてしまいます。
そして、春申君主導による楚、韓、魏、趙、燕の合従軍で、函谷関の戦いに挑むも、秦に敗北し、紀元前223年に滅亡しました。
斉:最後の最後まで独立を保った国
戦国七雄の三つ目である斉は、春秋時代は姜氏が治めていましたが、戦国時代に田氏が下剋上を起こし、紀元前386年に周の安王によって諸侯に封じられました。
紀元前286年には、小国・宋の内乱に乗じて宋を滅亡させるなど、秦と並ぶ勢力を見せつけます。
しかし、燕の将軍・楽毅率いる五カ国連合軍との大敗などを受け、国力を大幅に落としていきます。
その後は、斉王・建の時代に秦と同盟を結ぶことで、他五国との合従軍結成と、秦への侵攻を傍観することとなり、紀元前221年に、秦へ降伏する形で滅亡しました。
しかし、始皇帝の死後、斉王の子孫である田儋や田栄などが、秦に反旗を翻しています。
戦国七雄の国の歴史一覧:燕、魏、韓、趙
史実では、秦を除く他六国は滅亡したことが記録されていますが、「キングダム」では、どのように表現されるのか、その壮大なストーリー展開にも注目が集まっています。
以下では、古代中国・戦国七雄の歴史から、燕、魏、韓、趙をご紹介します。
燕:太子丹の悲願と悲劇
戦国七雄の四つ目である燕は、周から春秋戦国時代にかけて、現在の北京周辺を支配した国で、紀元前1100年に成立しました。
燕の始祖は周王朝の功臣・召公奭と伝わっており、紀元前664年の桓公の時代には、荘王の命により援軍を出して山戎を撃退した記録が残されています。
そして、戦国時代の記録では、紀元前334年の段階で、朝鮮半島も支配下におく、多大な勢力を誇っていました。
その後、燕の昭王の即位と、将軍・楽毅率いる合従軍の活躍により、斉に大打撃をもたらしますが、昭王の死後に国力を落とし始めます。
隣国・趙の滅亡により、秦の台頭に危機感を覚えた燕太子丹は、荊軻を用いて秦王・政の暗殺に乗り出すも未遂に終わり、秦が燕に侵攻するきっかけをもたらしてしまいます。
そして、紀元前222年に燕王喜が秦の捕虜となったことで滅亡しました。
魏:名将を輩出しながらも衰退
戦国七雄の五つ目である魏は、春秋時代末期の紀元前453年に晋から独立した三晋の一つで、史実によって「梁」とも記録されています。
戦国時代初期は、李克、楽洋、呉起、西門豹に代表される臣下に恵まれ、武候の代には領土を拡大するなど、圧倒的な勢力を見せつけていました。
しかし、紀元前370年の馬陵の戦いでの敗北や、秦との戦いで敗れたことでその国力を落としはじめ、秦の白起によって多くの国土を失いました。
一時は、信陵君の台頭により秦を圧倒させた魏でしたが、信陵君を失ってからは、秦の侵攻を受け始め、秦の将軍・王賁によって都・大梁を落とされ、紀元前225年に滅亡しました。
そして、始皇帝の死後の動乱には、子孫の魏咎、魏豹らが、秦へ反旗を翻しています。
韓:戦国七雄で最初の滅亡と、その後の統治
戦国七雄の六つ目である韓は、春秋時代末期に晋から独立した国です。
西の秦の侵攻に脅かされていたことから、戦国七雄では最弱と評される一方、昭公の時代の宰相・申不害の台頭により国力が安定しました。
しかし、申不害の死後は再び秦の侵攻が始まり領土を奪われてしまいます。
一方、韓では、国を強化する方法をまとめた公子・韓非による「韓非子」が誕生しました。
しかし、「韓非子」は韓では受け入れられず、後に秦王・政の手に渡り、韓滅亡の戦略に活用されてしまいます。
また、韓では、秦に使者を送り、灌漑事業を行なわせることで秦の国力を疲弊させようとしましたが、工事の成功によりかえって秦を強力させてしまいます。
そして、紀元前230年に首都・新鄭の失陥をもって、韓は戦国七雄で最初に滅亡しました。
「キングダム」作中では、この韓の滅亡後の状況が描かれています。
韓王室の処遇は秦の朝廷でも大きな議論となりましたが、最終的に秦王・政の決断により、血脈は断絶させずに公家としての地位は守られることになりました。
これは、反乱の根を残さぬために王族皆殺しを主張する意見が多数を占める中、昌平君が「王族を消し去れば残りの五王国が最後まで抗戦することになる」と強く説いた結果でした。
韓を滅ぼした同年、秦は手にした韓の全ての地を「潁川郡」と名づけ、統治を始めます。
作中では、咸陽から派遣された総司令である昌平君や、法の番人である李斯らが韓の統治に尽力し、李斯は亡き同門の兄弟弟子である韓非子に思いを馳せながら、韓の民に秦法の下での新しい国作りへの協力を呼びかけます。
「キングダム」では、この初めての他国統治がいかに困難を極めるか、そして法治国家の第一歩としていかに重要であるかが丁寧に描かれており、読者もその歴史の転換点を目撃しているような感覚を覚えるでしょう。
趙:李牧の死が招いた急激な衰退
戦国七雄の七つ目である趙は、紀元前403年に晋の分断により誕生した国です。
春秋時代は晋の有力な臣下であり、後に趙襄子が、韓康子、魏桓子に寝返りを持ちかけ、晋陽の戦いを起こします。
趙、韓、魏による晋の三分割により戦国時代に入ると、武霊王の時代に胡服騎射を取り入れたことで、趙は勢力を拡大させます。
しかし、紀元前295年を境に衰退の一途を辿り始め、秦の攻勢に脅かされます。
一方で、廉頗、藺相如、趙奢の活躍により、趙は何とか持ちこたえることができたものの、兵力の大半を失った長平の戦いの敗北により、急激な弱体化を見せ始めます。
そして、紀元前236年には、趙の将軍・龐煖が燕に侵攻している隙を狙われ、秦軍によって鄴を始めとする要所を落とされる事態に直面します。
しかし、趙の将軍・李牧の奮闘により、一時は秦の撃退に成功するも、李牧の死後は再び弱体化を見せ始めます。
そして、首都・邯鄲が落とされたことで、紀元前222年に滅亡します。
一方、代に逃亡した趙の公子・嘉が代王に立てられ、燕と共に秦への対抗を試みるも、秦王・政によって滅ぼされました。
戦国七雄以外の小国とその運命
春秋戦国時代と言えば、秦を始めとする戦国七雄による戦いのイメージが強いでしょうが、勢力は劣るものの小国として独立していた国もいくつかありました。
以下では、戦国時代に実在した戦国七雄以外の小国と、その結末をご紹介します。
戦国七雄以外にも存在した小国たち
春秋戦国時代の中国と言えば、一覧で紹介した戦国七雄のイメージが強いでしょう。
しかし、古代中国では、大国七つの勢力には及ばないものの、小国もいくつか存在していました。
例えば、春秋時代初期に東西に分裂した周王室や、宋、魯、衛、中山などが存在しました。
小国たちの運命
春秋戦国時代では、宋や中山などの一部の小国にて、王を名乗る君主が存在しましたが、戦国時代末期には、斉や趙などの戦国七雄に滅ぼされていきました。
しかし、秦の附庸国となった衛は、秦の統一後も存続しましたが、秦の二世皇帝(胡亥)によって廃され、その後滅亡しました。
「キングダム」が描く戦国七雄の魅力
「キングダム」は、史実をベースにしながらも、その時代に起きた事実がどのような背景で起こったのかを深く掘り下げた、奥深いストーリー展開が特徴です。
史実を調べることで今後の展開を予測できる一方、予測不能な人間ドラマやキャラクターの成長が、読者を強く惹きつけています。
特に、秦以外の六国は「キングダム」では滅亡する展開が待っていますが、「もしこの戦いで秦に勝っていたら?」「もしこの国の君主が優秀であったなら?」と、中国の歴史が変わっていたかもしれないという考察も多く見られます。
このように、史実を元に様々な考察を巡らせながら、秦の中華統一を想像することも、「キングダム」の楽しみ方の一つと言えるでしょう。
この記事では「キングダム」に登場する戦国七雄の歴史と、各国の代表的な武将、そして既に滅亡した「韓」の統治の様子まで紹介しました。
古代中国を舞台に、覇を競い合った七つの大国の壮絶な戦いを描いた「キングダム」は、中華統一に向けた秦の躍進や、他六国の動向に、今後も多くの注目が集まることでしょう。
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