【キングダム】春秋戦国時代を分かりやすく解説!歴史の裏側と魅力に迫る

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【キングダム】春秋戦国時代を分かりやすく解説!歴史の裏側と魅力に迫る

 

大ヒット漫画「キングダム」の舞台である春秋戦国時代は、紀元前770年代から秦の始皇帝による中華統一(紀元前221年)まで、古代中国を揺るがした激動の時代です。

この記事では、漫画「キングダム」のモデルとなった春秋戦国時代の歴史を年表でひも解きながら、秦の統一政策、史実に名を残した最強の武将たち、そして「キングダム」が多くの読者を惹きつける魅力について、深く掘り下げていきます。

「キングダム」をより深く楽しむための歴史背景を、一緒に見ていきましょう。

 

「キングダム」とは?作品概要とあらすじ

中華統一へ向けた秦国の本格的な始動が描かれる漫画「キングダム」は、後の始皇帝となる嬴政が中国史上初の偉業を成し遂げるまでの道のりを、壮大なスケールで描いた歴史漫画です。

原泰久の「キングダム」は、2006年から「週刊ヤングジャンプ」で長期連載されている人気作品で、その単行本は現在も刊行が続いています。

秦王嬴政が中華統一を成し遂げるまでの波乱に満ちた半生を、史実を元にした緻密な展開で描いている点が評価され、第17回手塚治虫文化賞マンガ大賞を受賞しました。

原作漫画にとどまらず、2011年11月からはテレビアニメシリーズが製作され、アニメファンからも高い人気を誇っています。

また、単行本50巻達成を記念して2019年4月には山﨑賢人主演による実写映画が公開され、大ヒットを記録しました。

 

「キングダム」のあらすじ

春秋戦国時代末期、秦に暮らす信は、下僕の身分でありながら天下の大将軍を夢見ていました。

秦国の若き王である嬴政との出会いを果たした信は、落命した幼なじみの思いと自らの夢を叶えるべく、乱世に身を投じます。

その後、反乱鎮圧での功績が認められ、平民の身分を得た信は、後の始皇帝となる政と共に、中華統一へ向けて、戦国七雄との激しい戦いに挑んでいくのです。

 

「キングダム」の舞台・春秋戦国時代とは?

春秋戦国時代とは、中国の古代王朝である周が都を洛邑へ変遷してから、秦の始皇帝による中国統一までの時代、紀元前770年から紀元前221年までを指します。

この時代は「東周時代」とも称されています。

周王朝は、この時代には勢力こそ衰えていたものの、王朝自体は戦国時代末期まで存続していました。

そのため、洛邑変遷前の周王朝を西周、変遷後を東周と区別しています。

約550年に及ぶ動乱の時代である春秋戦国時代は、史実では「春秋時代」と「戦国時代」に区分されています。

 

春秋時代

まず、春秋時代とは、周が都を変遷した紀元前770年から、大国晋が3国に分裂した紀元前400年代を指します。

周王朝の衰退に伴い、各地に点在する諸侯は独立状態となり、それぞれ自国の存続と勢力拡大に向けた争いが勃発しました。

この時代の由来は、孔子の「春秋」に記録された時代から命名されています。

周王の権力衰退に伴い、王を補佐する覇者の地位を巡る諸侯による争いが勃発しました。

 

戦国時代

戦国時代は、晋が分裂した紀元前403年から紀元前221年までを指し、史実によっては紀元前453年に始まったとも解釈されています。

この時代は、封建制の秩序が薄れると共に、下層階級からの下剋上が相次ぎました。

そして、「戦国の七雄」と呼ばれる有力諸侯による覇権争いは秦が制覇し、始皇帝の誕生と共に春秋戦国時代は終焉を迎えることになります。

戦国時代の由来は、前漢時代の劉向編纂の「戦国策」に由来しています。

この時代は、王に次ぐ権力を持つ覇者の勢力も弱体化し、対等した7つの大国、魏、韓、楚、趙、燕、斉、秦の「戦国七雄」による戦いが繰り広げられました。

 

春秋戦国時代の歴史年表

古代中国の動乱の幕開けとなった春秋戦国時代、その前半部分にあたる春秋時代と、後半の戦国時代の年表を分かりやすく解説します。

 

春秋時代の歴史年表

 

紀元前700年代

紀元前1046年の革命戦争で統一王朝となった周でしたが、歴代王の悪政でその栄光は陰りを見せ始めます。

紀元前771年に申候の乱で12代幽王が暗殺されると、諸侯たちの対立が浮き彫りになり、即位した携王の反対勢力は都を洛邑へ変遷させ、平王を擁立します。

東西に分裂した周は、争いの結果、平王を頂点とする東周が打ち勝ち、歴史は春秋時代に突入するのです。

 

紀元前600年代

周王室の権力が弱体化するにつれて、王朝の秩序も次第に崩れていき、それに伴い独立状態となった各地の諸侯たちは、自国の存続と覇者を目指して争いを繰り広げるようになります。

覇者は本来、周王朝から授けられる名誉の尊称でした。

しかし、春秋時代には、近隣の諸侯を集めて会盟を行った盟主が、覇者として君臨し勢力を拡大させていきます。

その中でも代表的な5人の覇者を、「春秋五覇」と呼びました。

春秋五覇は、文献により違いがあるものの、斉の桓公、宋の襄公、晋の文公、秦の穆公、楚の壮王と言われています。

歴史的に見ると、紀元前651年に斉の桓公が諸侯を集めて会盟し覇者となり、次いで諸侯との会盟を果たした宋の襄公は紀元前639年、晋の文公は紀元前632年に覇者となっています。

一方、紀元前624年には、晋を破った秦の穆公が西方の覇者となります。

 

紀元前500年代

紀元前597年に勃発した邲の戦いで、晋に大勝利を収めた楚の壮王は、覇者としての威光を天下に知らしめ、諸侯同士の争いが少なくなります。

その一方で、国内では、実権を狙う同格の貴族同士の争いが勃発し、時には君主の暗殺も横行し、従来の身分体制の崩壊が危ぶまれました。

これらは国同士の対立にも影響し、紀元前546年には、晋・宋・楚による停戦協定である「弭兵の会」が結ばれました。

貴族の台頭は悪い面ばかりでなく、これまで国政に携わることのできなかった出自の者の登用が活性化し、後に名宰相と呼ばれる優れた政治家が誕生しました。

同時に、大国同士の衝突が避けられたことから、小国外交も活性化しました。

そして、紀元前506年の柏挙の戦いによる楚の陥落を機に、春秋時代に再び大国同士による争いが勃発します。

 

紀元前400年代

楚の都を陥落させた呉は、南部・長江流域に勢力を拡大する越と並ぶ新興勢力でした。

そして、紀元前496年に越王勾践が即位すると、呉へ攻撃を仕掛け始めます。

両者の争いは「呉越抗争」と呼ばれ、紀元前494年には呉が越を破り、紀元前482年には、諸侯と会盟を結んだ呉を越が攻撃しています。

そして、紀元前473年に越王勾践は、呉王夫差を包囲して自害に追い込み、大国呉を滅亡させました。

しかし、紀元前465年には越王勾践も死去し、越は衰退の一途を辿りました。

また、紀元前451年には、晋陽の戦いで勝利した魏、趙、韓の連合部隊は、敗北した晋の領土を三等分にし、それぞれ独立を果たします。

そして、紀元前403年には、魏、趙、韓の三国へ周の威烈王から正式に諸侯として認められます。

歴史区分では、この出来事を春秋時代の終わりと戦国時代の始まりに位置づけています。

 

戦国時代の歴史年表

 

紀元前388年~376年

紀元前388年に斉で、宰相田和によるクーデターが勃発し、斉は田氏による支配体制に変わります。

そして、晋陽の戦いでの敗北後、小諸侯にまで没落した晋の滅亡を機に、楚、燕、魏、趙、斉、韓、秦の戦国七雄による覇権争いが始まります。

戦国時代にも周王朝は存続していましたが、その権威はすでに失われており、勢力を拡大させる七雄の君主たちは自らを「王」と名乗り始めました。

 

紀元前341年~311年

紀元前354年から勃発した桂陵・馬陵の戦いは、魏、宋、衛の三国連合軍による趙の首都邯鄲への侵攻を機に勃発し、紀元前341年に馬陵を舞台に斉の孫臏が魏の龐涓を倒します。

敗北した魏は国力を衰退させ、秦からの侵攻を受け始め、後に韓と共に斉に従属します。

また、紀元前333年には、遊説家蘇秦による秦を除く6国の合従策が成功します。

そして、紀元前318年には、魏、韓、燕、趙、楚による合従軍と秦国の戦い、「函谷関の戦い」が勃発するも、自分たちの利害のために動き、足並みを揃えられなかった合従軍は秦に敗北します。

この戦いを機に秦は勢力を拡大し、紀元前316年には蜀を滅亡させました。

そして、紀元前311年には、秦の宰相張儀が考案した連衡策によって、合従策を破ることに成功します。

 

紀元前284年~260年

紀元前284年には、燕の楽毅を総指揮とする斉以外の6国が斉に侵攻すると共に、斉内部でも湣王の暗殺が発生し、これらを機に斉は衰退の一途を辿り始めます。

一方、秦は、紀元前278年に白起による楚の都の陥落に成功し、楚を遷都させました。

しかし、紀元前270年の閼与の戦いでは、魏と連合軍を結成した秦は、趙の趙奢に撃破されてしまいます。

紀元前264年に西周を滅亡させた秦は、祭祀用の宝器である九鼎を奪い、紀元前260年には長平の戦いにて白起率いる秦が趙に圧勝します。

同時に、秦では20万人以上の捕虜を抱えることとなり、兵糧の不足や彼らの反乱の危険性を理由に、少年兵を除いたすべての捕虜が生き埋めにされました。

 

紀元前259年~241年

秦が権勢を誇っていた紀元前259年、秦では後に中華統一を成し遂げる始皇帝、嬴政が誕生します。

紀元前255年には秦による東周の滅亡により、周王朝は完全に滅亡しました。

しかし、秦の快進撃は長く続かず、嬴政が秦王に即位した紀元前247年に、魏の信陵君を筆頭とする魏、趙、楚、燕、韓の連合軍に敗北した秦は、衰退を見せ始めます。

 

紀元前238年~225年

13歳で即位した幼い嬴政に代わり、秦国では丞相である呂不韋を中心に国政が行われました。

しかし、権力は後ろ盾の呂不韋と、生母である太后の寵愛により勢力を増した嫪毐に集中します。

紀元前238年に、嫪毐による反乱未遂と、宰相呂不韋の失脚により、国権は秦王政にゆだねられ、秦の中華統一へ歩が進められます。

また、紀元前233年には秦の李斯による韓の王子、韓非暗殺事件が勃発します。

そして、韓非の死から3年後の紀元前230年、陽翟の陥落と韓王安の捕虜を受けた韓は滅亡します。

秦の勢いは衰えを知らず、紀元前229年には趙の攻めに入り、翌年には、趙王を捕虜にして、趙国の領土を秦国へ併合させることで趙を滅亡させました。

戦国七雄で勢いを増す秦でしたが、紀元前227年には燕による秦王政の暗殺未遂事件が発生します。

政は辛うじて一命を取り留めることができ、秦国ではこの事件を口実に燕への侵攻に乗り出し、紀元前226年に燕の都を陥落させることに成功します。

同時に、秦は、信陵君を失ったことで弱体の一途を辿る魏に攻め入り、紀元前225年に魏を滅亡させます。

同年には、強国楚との戦いに挑むも、楚の思わぬ反撃に秦は苦戦を強いられ、大敗を喫しました。

 

紀元前223年~221年

戦国時代に台頭した戦国七雄のうち、韓、趙、魏が滅亡し、残された楚、燕、斉、秦による中華統一が争われます。

そして、一度は秦に勝利した楚も、将軍王翦率いる秦国との戦いに敗れ、紀元前223年に滅亡します。

秦王暗殺事件を発端に戦を繰り広げてきた燕も、紀元前222年に秦に滅ぼされ、およそ40年間、ほとんど戦いに参戦しなかった斉と秦の一騎打ちとなります。

両者の戦いには、秦による斉への工作が行われており、紀元前221年に斉は秦へ降伏し、滅亡します。

そして、戦国七雄に数えられた6つの強国との戦いを制した秦は、史上初の中華統一を成し遂げ、これをもって春秋戦国時代は終わりを告げました。

 

「キングダム」の舞台・春秋戦国時代で最強の武将は誰?

およそ500年にわたって繰り広げられた春秋戦国時代は、秦国による中華統一までの壮絶な戦いだけでなく、思想家孔子のように、後の時代に影響を与える思想家も多く誕生しました。

ここでは、史実にその功績が記された、春秋戦国時代に活躍した最強の武将について考察していきます。

 

孫武

並外れた兵法で後の時代にも影響を与えた孫武は、春秋時代末期に活躍した呉の武将です。

出身は斉ですが、呉王闔閭にその素質を魅入られたことで、後に呉の武将として活動します。

孫武の戦歴は少ないものの、軍の司令長官として挑んだ柏挙の戦いでは、敵の目を欺く巧みな戦術で大国楚の都を陥落させることに成功し、国内での名声を上げました。

闔閭の死後は次王夫差に仕えるも、これ以上の地位を望むことなく表舞台から引退し、その後半生は記録になく、謎に包まれています。

春秋時代を代表する武将である孫武は、軍事思想家という顔も持っており、中国の兵法書「孫子」の執筆者として有力視されています。

戦の勝敗は運ではなく人為によるもの、と説いた孫武の「孫子」は、時代を超えて多くの指導者に愛読されている名著です。

 

張儀

秦国の宰相張儀は、蘇秦と並ぶ縦横家であり、蘇秦の合従策に対抗して、秦国との個別の同盟の締結により隣国との戦いに備える連衡策を編み出しました。

当初は、合従策の崩壊を防ぐ手段として蘇秦による工作で秦国に任官した張儀でしたが、秦で実績を上げた張儀はやがて宰相にまで昇りつめ、6国を秦国との連衡に向かわざるを得ない状況を作り上げ、蘇秦の合従策を打破しました。

 

樗里疾

樗里疾は、秦の政治家・軍人で、紀元前338年に即位した秦王恵文王の異母弟にあたる王族です。

知恵者としても有名であり、紀元前318年に勃発した函谷関の戦いでは、韓、楚、魏、趙、燕の合従軍を撃退し、秦の勢力拡大に貢献しました。

紀元前309年には、歴史上初となる丞相の官名が生み出され、樗里疾は右丞相に任命されています。

恵文王の死後も引き続き歴代秦王に仕え、昭襄王の代には先代以上に重く用いられるも、紀元前300年に没し、後の長安(現在の西安)にあたる場所に葬られます。

樗里疾は遺言に「100年後には、自分の墓を挟んで天子の宮殿が立つ」と記し、漢の時代には長楽宮と未央宮が立てられ、現実となりました。

 

甘茂

甘茂は、恵文王、武王、昭襄王の三大の秦王に仕えた武将・政治家であり、張儀と樗里疾の推薦を受けて恵文王に仕え始めます。

武王の時代には、反乱を起こした蜀を鎮圧し、その功績を認められ左丞相に任命され、昭襄王の代まで手腕を振るいました。

しかし、一方で甘茂のことを快く思わない重臣もおり、恐れや不安を覚えた甘茂は亡命し、その後は斉や楚で重んじられました。

 

楽毅

燕国の武将楽毅は、趙、魏を経て燕に任官した戦国時代屈指の戦略家です。

紀元前286年の済西の戦いでは、当時、権勢を誇っていた斉を、趙、韓、秦、魏との五国連合軍で打ち破り、斉を滅亡寸前まで追い込みます。

しかし、この輝かしい実績は、やがて燕の新王恵王に警戒されることとなり、恵王による抹殺を恐れた楽毅は趙へ亡命し、燕と斉の国境の警備にあたりました。

楽毅の趙への亡命は、やがて燕の恵王の耳にも入り、恵王は非情な振る舞いによる楽毅からの攻めを恐れていました。

しかし、楽毅は、先代昭王から受けた恩を忘れることなく丁寧な態度を貫くことで恵王の誤解を解き、やがて燕と趙の客卿とされ、両国を行き来する特別待遇を受けながら、最期は趙国で生涯を終えました。

 

趙奢

趙の政治家・将軍の趙奢は、元は田地の徴税官でしたが、相手が王族だろうと法に背く者に対する容赦ない姿勢を買われ、中央政界に出世します。

恵文王の推挙で趙の国税を任され、やがて趙の国力を増大させることに成功しました。

一方、趙奢の手腕は軍事面でも発揮され、紀元前270年の「閼与の戦い」では、秦軍のスパイの目を欺き、秦軍を敗退に追い込みました。

閼与の戦いの功績が認められた趙奢は、恵文王から馬服君に封じられ、名将廉頗や藺相如と並ぶ地位に昇格します。

そして、敗北した秦は、趙奢、廉頗や藺相如の3人が健在する間は、趙に攻め入ることができなかったと言われ、秦に多大な影響をもたらした武将の1人です。

 

孫臏

孫臏は、最強の武将考察で紹介した孫武の孫であり、斉の軍人・思想家です。

詳しい出自は不明とされていますが、若い頃は魏の武将龐涓と共に兵法を学び、後に龐涓の罠にかかり両脚を切断され軟禁状態になります。

後に斉の使者として訪れた将軍田忌と密かに連絡を取り、魏からの脱出に成功します。

斉では田忌の食客となり、斉国の軍に加わりました。

そして、「桂陵の戦い」では、魏の大群の隙をついて大敗に追い込み、「馬陵の戦い」では、若き日に自分を欺き、両足切断に追い込んだ因縁の相手龐涓への復讐を果たします。

馬陵の戦いは斉の大勝利に終わり、孫臏の名も天下に知られるも、孫臏のその後の記録は残されておらず、一説には兵法書「孫臏兵法」を記したと伝わっています。

 

王翦

秦の将軍王翦は、秦の中華統一に大きく貢献したキングダムにも欠かせない名将です。

王翦の記録は、秦王政11年(紀元前236年)に初めて史書に登場し、難攻不落だった趙の都や燕の都を陥落させます。

そして、数ある功績の中で最も有名な戦いは、紀元前225年に勃発した「楚平定戦」です。

この戦いで秦は大敗を喫しており、将軍李信の後釜として王翦が選ばれました。

王翦は、秦王政に対して秦のほぼ全軍にあたる60万の兵を要請し、紀元前223年に楚を滅亡させることに成功します。

数々の戦で勝利をおさめた王翦は、老年に差し掛かるまで秦王政に重用され、楚平定戦では反乱の疑いをかけられながらも、天寿を全うすることができたと言われています。

 

白起

白起は、政の曽祖父である昭襄王に仕えた秦の武将で、彼の経歴は「史記」の白起・王翦列伝に記録されています。

史記では、紀元前294年から記述が始まり、およそ37年に渡って、魏、韓、趙、楚の軍を次々と撃破しました。

一方で、捕虜となった敵兵に対する残忍な処刑を繰り返していたことも知られ、紀元前260年の「長平の戦い」では、生け捕りにした趙兵40万人を生き埋めにした記録が残されています。

戦略家としては優秀な人材であったものの、これまで築き上げてきた戦績が秦の上層部から警戒される結果を招き、秦国内での立場を悪くしていきました。

そして、紀元前257年には、昭襄王の命令で自害に追い込まれました。

白起は、自分が犯した罪を自害直前まで分かっていなかったと言いますが、昭襄王は長平の戦いで降伏した趙兵の生き埋めをその理由として指摘したとされています。

 

「キングダム」の舞台となった秦の統一政策

秦国による中華統一は、中国の歴史を変えただけでなく、従来の王朝にはなかった新たな称号や制度を生み出し、後の時代にも受け継がれていきました。

ここでは、春秋戦国時代の秦の統一政策について解説を交えながら紹介します。

 

王を超える称号「皇帝」の誕生

春秋戦国時代の動乱を制した秦王政は、史上初の中華統一を成し遂げました。

同時に、自らの権勢が先の時代の王より強大であることを民衆に知らしめる必要がありました。

そこで生み出されたのが「皇帝」という称号です。

皇帝は、中国神話に登場する三皇五帝から命名された王を超える称号で、より強大な支配の威信を諸侯に与えると同時に、どの君主をも超える存在として古代中国に君臨しました。

そして、「始皇帝」には最初の皇帝という意味が込められ、その後継者たちは代が下がるにつれて、「二世皇帝」などの称号が与えられました。

中国の歴史上初の偉業を達成した秦国でしたが、その権勢は始皇帝の死と共に衰退し始め、中華統一からわずか15年で秦国は滅亡します。

しかし、秦の時代に誕生した「皇帝」という称号は、後の時代にも使用され、中国最後の王朝である清の時代まで受け継がれていきました。

 

中央集権体制と郡県制

秦時代には、周王朝までの封建制度を廃止し、始皇帝をトップに据えた中央集権体制を生み出しました。

各自治の統治は、中央から派遣された官吏に支配を任せる「郡県制」による統治が行われました。

郡県制は、全国を36の郡に分け、その中に県を置いて統治するシステムです。

これにより、秦時代以前の地方の国号や王号は全て廃止され、全ての国民は秦国の人間とみなされました。

始皇帝による政治体制の改革は、過去の時代に交わされた諸国の同盟関係や連合を刷新させ、各自治体の統治を始皇帝の身内から官吏に任せることで政治的混乱や反乱を防ぐことにつながったと考えられます。

秦時代の一連の政治改革は、戦国時代から秦国内で少しずつ行なわれていましたが、その性急さが反発を生んでおり、新時代に突入後も法による統治に反対する思想家が存在しました。

そして、彼らによる反乱を恐れた始皇帝は、諸子百家の書を全て焼き捨て、秦の政治体制に批判的な学者たちを生き埋めにした「焚書・坑儒」を実施し、厳しく取り締まりました。

 

馳道(ちどう)の整備と統一

中国全土を統一するにあたり、まずは各国ごとに独自に定められていた貨幣、度量衡(重さ・長さ・体積)、文字、車輪の幅を全国一律にする必要がありました。

そこで、秦の首都である咸陽から諸国へ通じる「馳道(ちどう)」が築かれ、秦の制度や法律の制定を迅速に地方へ伝達することができました。

同時に、馳道の誕生により交通の便が良くなったことで、経済や商業の活性化にもつながったと考えられています。

 

「キングダム」が多くの読者を惹きつける魅力

中華統一に向けた怒涛の展開や、キャラクターたちの心理描写が人気に火を付けた漫画「キングダム」は、連載から14年がたった現在も、その人気は衰えを知りません。

ここでは、老若男女問わず高い人気を誇る漫画「キングダム」の魅力を紹介します。

 

キャラクターに人間味を与えている深掘り描写

史実をベースにしたストーリー展開が特徴の漫画「キングダム」は、その登場キャラクターの多くが実在の人物をモデルとし、作中での動向に色濃く反映されています。

しかし、モデルとなった人物の多くは、史実での記録が断片的であったり、名前だけが後世に残されたものが多く、実在が疑わしい人物も少なからず存在します。

一方、漫画「キングダム」では、わずかな資料を元にキャラクター設定を加えることで、登場人物に人間味を与え、作品に深みを与えていると多くの読者は感じているでしょう。

資料が少ないことは、従来のイメージにとらわれない柔軟かつ大胆な発想も可能にし、主人公信を始めとするキャラクターたちをより魅力的に引き立てています。

そして、漫画「キングダム」と言えば、もう1人の主人公、嬴政の存在も欠かせません。

中国史上初の偉業を成し遂げた嬴政、後の始皇帝は、世界史の教科書にも取り上げられる歴史人物ですが、その人物像は、暴君などの批判的な評価が多く見られました。

しかし、近年では、始皇帝に関する新たな事実が発見されると共に、中華統一までの始皇帝の知られざる苦労も注目され、その評価も変わりつつあります。

そして、漫画「キングダム」で描かれる嬴政(始皇帝)は、最新の資料を元にキャラクター設定が施され、従来の暴君とはかけ離れた印象を受ける読者も少なくないようです。

漫画「キングダム」では、始皇帝が中華統一を成し遂げるまでの波乱の半生に焦点を当てており、若き秦王政とその部下たちの奮闘や人間模様は、観る者を惹きつけてやまないでしょう。

 

実社会にも通じる緻密な組織描写

「キングダム」の原作者である原泰久は、サラリーマンから漫画家になった異色の経歴の持ち主です。

実社会で培ってきた様々な考えの人間との交流や、組織として働いてきた経験は、漫画「キングダム」にも大きく反映されていると考える読者もいるかもしれません。

それらは、膨大な登場人物と人間味あるキャラクター設定、そして丁寧に描かれた組織の描写から感じることができます。

漫画「キングダム」は、春秋戦国時代を舞台にした歴史漫画ですが、従来の作風に囚われない自由な発想と大胆な展開、そして「友情」「勇気」「勝利」といった少年漫画の王道を取り入れたストーリー展開が、幅広い世代に支持されています。

 

「キングダム」の春秋戦国時代に関する読者の声

漫画「キングダム」は、ストーリーやキャラクターだけでなく、作品のモデルになった歴史年表や解説と照らし合わせて読むことで、「キングダム」の世界観をより深く楽しめます。

ここでは、歴史年表や解説で紹介した「キングダム」の春秋戦国時代に関する読者の声や評価を紹介します。

 

読者の声1:「キングダム」に夢中

「単行本、54巻まで追いついちゃった!絶景だよね。キングダムを教えてくれた友人に感謝!」といった声が見られます。

日本では馴染みの薄い中国の春秋戦国時代を舞台にした漫画「キングダム」は、秦の勢力拡大にますます期待が高まっています。

漫画やアニメ版「キングダム」の人気に伴い、劇中の舞台となった春秋戦国時代への興味や関心も高まっており、三国志に次ぐ熱狂ぶりをもたらしていると考える読者も少なくありません。

 

読者の声2:未登場の史実人物に期待

「荊軻、田光、菊武、燕太子丹などの燕の人物。あと、趙の滅亡の半年ほど前に幽穆王と会話した司空馬かな。まだ他にもたくさんいると思う!マイナーキャラクターも含めてですが。ちなみに、劉邦は既に生まれていると思うので酔っぱらいとして登場してもらいたい」といった考察も投稿されています。

春秋戦国時代の年表解説で紹介したように、「キングダム」の登場人物の多くは実在の人物をモデルとしており、中華統一に向けた動きが本格的に始まった54巻以降も新キャラクターの登場が予想されます。

漫画「キングダム」の読者からは、本編未登場の重要人物や、史実ではマイナーに数えられる人物の登場を期待する声も見られ、作品に対する期待を高めていると言えるでしょう。

 

読者の声3:春秋戦国時代を題材にした作品への関心

「嘘みたいな話ですが、中国の春秋戦国時代がすごく好き。なので、愛読書は「春秋左氏伝」や「戦国策」、司馬遷の「史記世家」です」という声もあり、特定の歴史時代への深い愛着を示す読者もいます。

漫画「キングダム」の人気や、今回紹介した歴史年表と解説のように、春秋戦国時代と言えば、中国の覇権をかけた戦の時代というイメージが強いでしょう。

しかし、中国の動乱期に位置づけられる春秋戦国時代には、後世にまで読み継がれる多くの名著が誕生しました。

歴史好きの中には、春秋戦国時代を題材にした本が好きな方もおり、漫画「キングダム」の影響で注目が集まっていると考えられます。

 

「キングダム」で深まる春秋戦国時代の理解

漫画「キングダム」の舞台となった春秋戦国時代から、春秋時代と戦国時代の年表解説、同時代に活躍した最強武将の考察、中華統一後の秦の統一政策解説、そして漫画「キングダム」の魅力などを、年表や解説を交えて紹介しました。

史実を題材にして描かれた漫画「キングダム」は、中国動乱の末期を舞台とし、今回紹介した春秋戦国時代の年表解説と合わせて読むことで、より「キングダム」の世界観を深めることができます。

作品を楽しみながら、さらに歴史への理解を深める一助となれば幸いです。

 

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【キングダム】ってどんな作品?漫画、テレビアニメ、実写映画と、多岐にわたるメディアで圧倒的な人気を誇る「キングダム」。多くの魅力的なキャラクターたちが織りなす壮大な物語は、多くの読者を惹きつけてやみません。この記事では、キングダムに登場する...
【キングダム】読者の心に刻まれた名シーンの数々!感動と興奮を生む名場面を徹底考察
【キングダム】なぜこんなにも名シーンが多いのか?「キングダム」はアニメが第5期まで終了し、実写映画化や舞台化など、様々なメディアミックスでその人気を不動のものとしています。登場人物が魅力的であることや、迫力ある戦闘シーンがカッコいいことも人...
【キングダム】腹筋崩壊必至のコラ画像!あの名場面がまさかのコラボ!
人気漫画『キングダム』は、その壮大な物語と熱いキャラクターで多くの読者を魅了しています。シリアスな展開が多い作品ですが、SNSではファンによって生み出された「コラ画像」がひそかに盛り上がりを見せているのをご存じでしょうか?キャラクターたちの...

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