
スタジオジブリが手掛けた初のフル3DCG長編アニメーション映画『アーヤと魔女』は、公開前から大きな注目を集めましたが、その評価は賛否両論に分かれ、多くの議論を巻き起こしました。
従来のジブリ作品とは一線を画す表現手法や、主人公アーヤの個性的なキャラクター像は、観る者に新鮮な驚きを与えると同時に、戸惑いをもたらした側面もございます。
本記事では、『アーヤと魔女』が「ひどい」「つまらない」といった厳しい意見に直面した理由を深く掘り下げつつ、一方で作品が持つ独自の魅力や、ジブリが新たな表現に挑戦した意義について多角的に考察してまいります。
最新のレビューやファンの声、そして宮崎吾朗監督や企画の宮崎駿の言葉を参考に、この話題作の真髄に迫ります。果たして『アーヤと魔女』は、ジブリの新たな扉を開いた挑戦作だったのでしょうか、それとも時代が求めるものとズレが生じてしまったのでしょうか。
【アーヤと魔女】とは?ジブリが贈る「いい子じゃない」ヒロインの物語
『アーヤと魔女』は、イギリスの児童文学作家ダイアナ・ウィン・ジョーンズの同名小説を原作とする、スタジオジブリ制作のアニメーション映画です。
ダイアナ・ウィン・ジョーンズは、『ハウルの動く城』の原作者としても知られる「ファンタジーの女王」と称される作家で、本作は彼女の遺作となりました。
企画は宮崎駿、監督は宮崎吾朗が務め、スタジオジブリとしては初の全編3DCG制作という挑戦的な試みが行われました。
物語は、孤児院で育った10歳の少女アーヤが、ある日突然、魔女のベラ・ヤーガと怪しげなマンドレークの家に引き取られるところから始まります。
魔法を教えてもらうことを条件に、ベラ・ヤーガの助手として働くことになったアーヤでしたが、一向に魔法を教えてもらえず、こき使われるばかりの毎日に不満を募らせます。そこでアーヤは、持ち前のしたたかさと賢さで、使い魔の黒猫トーマスの力を借りながら、逆に魔女たちを出し抜こうと画策します。
本作は2020年12月30日にNHK総合テレビで先行放送され、その後2021年8月27日に劇場公開されました。
主要スタッフ・キャストのプロフィール
| 監督 | 宮崎吾朗(『ゲド戦記』『コクリコ坂から』) |
| 企画 | 宮崎駿 |
| プロデューサー | 鈴木敏夫 |
| 原作 | ダイアナ・ウィン・ジョーンズ(『ハウルの動く城』) |
| 脚本 | 丹羽圭子、郡司絵美 |
| 音楽 | 武部聡志 |
| アーヤ | 平澤宏々路 |
| ベラ・ヤーガ | 寺島しのぶ |
| マンドレーク | 豊川悦司 |
| トーマス | 濱田岳 |
| アーヤの母親 | シェリナ・ムナフ |
『アーヤと魔女』が「ひどい」「つまらない」と言われる主な理由とその考察
『アーヤと魔女』に対しては、公開当初から「つまらない」「ひどい」といった厳しい意見が多く寄せられました。これらの評価は、従来のスタジオジブリ作品に抱くイメージとのギャップや、作品自体の特性に起因するものが多いと考えられます。
ここでは、主な批判点とその背景について詳しく見ていきましょう。
理由① 従来のジブリ作品とは異なる3DCGの作風
スタジオジブリ作品といえば、手描きによる温かみのある作画や、繊細な美術表現が多くのファンに愛されてきました。しかし、『アーヤと魔女』はジブリ初の全編3DCGアニメーション作品として制作され、この点が賛否の大きな要因となりました。
「手描きならではの人間味のある作画が見たかった」「ジブリ作品としては見られない」といった意見が多数挙がり、3DCGのクオリティ自体が低いと感じる観客も少なくありませんでした。
特に、キャラクターデザインや背景のディテールにおいて、従来のジブリ作品が持つ「息遣い」のようなものが感じられないという感想を持つ読者もいるようです。
一方で、この3DCGという表現は、宮崎吾朗監督がジブリの「呪縛」から解き放たれて、自身の表現を追求する上で重要な要素だったと指摘する声もございます。
『君たちはどう生きるか』の制作で手描きアニメーターの多くが動員されていたため、3DCGを選択せざるを得なかったという制作背景も存在しますが、吾朗監督自身は3DCGで可能な表現を追求したと語っています。
理由② 物語の「中途半端な」終わり方とメッセージ性の希薄さ
多くの観客が指摘する点として、「物語が途中で終わったように感じる」「ラストが意味不明」という意見が多く見受けられます。
原作がダイアナ・ウィン・ジョーンズの遺作であり、未完であるため、映画も原作に忠実な形で「続きがありそうな雰囲気」で幕を閉じていることが、この消化不良感を招いているようです。
「12人の魔女の存在が不明瞭」「アーヤの母親の背景が描かれない」など、伏線が未回収のまま終わることにモヤモヤを感じた観客も少なくありません。
また、スタジオジブリ作品には、環境問題や平和、人間の成長といった明確なメッセージ性が込められていることが多いですが、『アーヤと魔女』からは「何を伝えたいのか分からない」という意見も挙がりました。
主人公アーヤが人間として大きく成長する描写が乏しいため、「テーマが不明瞭な作品」と受け止められることもあったようです。
しかし、宮崎吾朗監督は、「いい子じゃない」アーヤのしたたかさや、利用できるものは利用して生き抜く強さを描くことで、生きづらい現代の子どもたちへのエールとしたかったと語っています。
この「小さなストーリー」の中に、監督なりのメッセージが込められていると解釈する見方もございます。
理由③ 主人公アーヤのキャラクターへの共感の難しさ
従来のジブリ作品のヒロインといえば、純粋で真っ直ぐな心を持つ少女が多い印象ですが、アーヤは「ワガママで生意気」「ずる賢い」といった、これまでのジブリヒロインとは一線を画す性格をしています。
この個性的なキャラクターは、「人間性が好きになれない」「物語に不快感がある」といった批判の対象となることもありました。特に、「大人を手玉に取る」といった描写は、一部の観客にとっては受け入れがたかったようです。
しかし、一方で「表情豊かで面白い」「悪知恵ばかりが働いて面白い」と、アーヤの生命力の高さやしたたかさを肯定的に評価する声もございます。
宮崎駿もまた、アーヤの「したたかさ」を「ずるいということじゃない。昔はみんな持っていて、なぜか無くしてしまったもの。こんな時代を生きるために、必要なこと」と評し、作品の重要な魅力の一つとして捉えています。
アーヤは、過酷な環境を生き抜くための術として、その性格を身につけたと考えることもでき、現代社会を生きる上で必要な「強かさ」を体現していると解釈する見方もできるでしょう。
理由④ 声優陣の演技に対する評価
近年、スタジオジブリ作品ではプロの声優ではなく俳優が起用されることが増えていますが、『アーヤと魔女』でも寺島しのぶ、豊川悦司、濱田岳といった俳優陣が主要キャラクターの声を担当しました。
このキャスティングに対し、「俳優の演技が下手」「棒読みのセリフがひどい」といった厳しい意見も一部で聞かれました。特に、アーヤの母親である赤髪の魔女を演じたシェリナ・ムナフについては、「片言の日本語に違和感がある」という声も挙がりました。
しかし、シェリナ・ムナフはインドネシアの国民的シンガーであり、劇中歌も担当しており、その歌唱力は高く評価されています。また、アーヤ役の平澤宏々路はオーディションで抜擢され、その演技は「素晴らしかった」と肯定的に評価する声もございます。黒猫トーマスを演じた濱田岳についても、「カワイイ声だけどちょっと悪だくみもしそうな感じがマッチしている」と好評を博しています。声優の演技への評価は、観る人によって大きく分かれるデリケートな問題と言えるでしょう。
理由⑤ 予告編と本編のミスマッチ
『アーヤと魔女』の予告編は、これまでのジブリ作品のヒロインたちを次々と見せ、「スタジオジブリが贈る、新しいヒロインの物語」というナレーションとともに、観客の期待を高めるものでした。
しかし、実際に蓋を開けてみれば、物語は「とても小さな話」であり、舞台もほぼ孤児院と魔女の家に限定されるなど、これまでの壮大なスケールのジブリ作品とは対照的な内容でした。
この予告編と本編の内容のギャップが、「ポスター詐欺でひどい」「期待して損した」といった失望の声に繋がったと考える見方があります。過剰な「ジブリブランド推し」が、かえって作品へのハードルを不必要に上げてしまった可能性も指摘されています。
『アーヤと魔女』の興行収入と「大コケ」の評価
『アーヤと魔女』の興行収入は、約3億円と報じられています。これはアニメ映画の制作費が10億円以上とされる中で、一般的に「大コケ」「爆死」と評価される数字です。
スタジオジブリ作品としては、歴代でもワーストクラスの興行収入であり、特に「千と千尋の神隠し」が304億円以上、「ハウルの動く城」が196億円 といった大ヒット作を生み出してきたことを考えると、その落差は顕著です。
興行的に振るわなかった理由としては、劇場公開に先立ってNHKでテレビ放送されていたことや、コロナ禍による公開延期の影響も挙げられます。
また、3DCGというジブリ初の試みが、既存のファン層に受け入れられにくかった可能性も考えられます。しかし、興行収入だけでは作品の価値を測れないという意見も多く、作品が持つ独自の魅力に目を向けるべきだという見方もございます。
『アーヤと魔女』の隠された魅力と肯定的な評価
厳しい評価が目立つ一方で、『アーヤと魔女』には、従来のジブリ作品にはない独自の魅力や、肯定的に評価されるべき点も存在します。ここでは、作品の多様な側面を見ていきましょう。
魅力① 原作に忠実な「小さな物語」の魅力
『アーヤと魔女』は、原作であるダイアナ・ウィン・ジョーンズの小説に非常に忠実に作られています。
特に、物語が「途中で終わったように感じる」という批判は、原作自体が未完であることに起因しており、宮崎吾朗監督は「この原作を無理に膨らませようとすると、別の作品になってしまう」と考え、原作の持つ魅力を尊重した結果だと語っています。
「小さな作品」として捉えることで、その魅力がより深く理解できるという見方もあります。壮大な冒険物語ではなく、あくまでアーヤが魔女の家で自分の居場所を確立していく日常を描いた作品として鑑賞すると、その世界観やキャラクターの行動に納得感が生まれるかもしれません。
家族とは何か、という問いを深く探求しているという考察もございます。孤児として育ったアーヤが、ベラ・ヤーガやマンドレークとの関係を通じて、新しい家族の形を模索する過程は、現代社会における多様な家族のあり方を提示していると解釈する読者もいるようです。
魅力② アーヤの「したたかさ」が示す現代的なヒロイン像
アーヤの「ワガママで生意気」という性格は、賛否両論を呼びましたが、その「したたかさ」こそが作品の大きな魅力だと捉える意見もございます。
自分の置かれた状況を冷静に分析し、大人たちを巧みに操りながら、自分にとって都合の良い環境を作り上げていくアーヤの姿は、現代社会を生き抜く上で必要な「生命力」や「適応能力」を象徴していると考えることができます。
宮崎駿も、アーヤのしたたかさを現代社会で失われつつある「必要なこと」と捉えており、このキャラクターに託されたメッセージは大きいと言えるでしょう。従来のジブリヒロインとは異なる、ある種「反骨精神」を持ったアーヤの姿は、新しい時代のヒロイン像として、特に子どもたちに勇気を与える作品だと評価する声もございます。
魅力③ 3DCGアニメーションへの挑戦と表現の可能性
スタジオジブリ初の全編3DCG作品である『アーヤと魔女』は、ジブリが新たな表現手法に挑戦した意欲作として評価するべきだという意見もございます。
手描きアニメーションとは異なる3DCGならではの表現で、魔女の家や小道具が細やかに作り込まれている点や、アーヤの豊かな表情の変化などは、作品の魅力の一つです。
宮崎吾朗監督は、3DCG制作ソフト「Autodesk Maya」を用いて、ジブリとは異なる新しい世界観とキャラクターの魅力を表現したと語っています。
この挑戦は、ジブリがアニメーションの可能性を広げようとする姿勢の表れであり、今後の作品に繋がる重要な一歩だったと考える読者も少なくありません。
また、3DCG特有の禍々しさや気持ち悪さが、魔女というテーマとマッチしていたという肯定的な意見もございます。
魅力④ 音楽と声優陣の新たな魅力
本作の音楽は武部聡志が担当し、ロックテイストのかっこいい主題歌「Don’t disturb me(私を煩わせるな)」も人気を集めました。
この主題歌は、アーヤの母親役も務めたシェリナ・ムナフがボーカルを務めており、彼女の歌唱力は高く評価されています。
また、声優陣についても、特にアーヤを演じた平澤宏々路の演技は、オーディションで抜擢された当時13歳とは思えないほどの「強くて明るい、少し生意気だけど憎めない」アーヤを表現しており、その才能を評価する声が多数あります。
黒猫トーマス役の濱田岳の演技も、「可愛らしい見た目と、悪だくみもするような声がマッチしている」と好評です。
これらの音楽や声優陣のパフォーマンスは、作品全体に独自の魅力を添え、作品を肯定的に評価する要因の一つとなっています。
『アーヤと魔女』がジブリにもたらした意味と今後の展望
『アーヤと魔女』は、スタジオジブリにとって多くの「初」を伴う作品でした。
初の全編3DCGアニメーション、テレビでの先行放送、そして宮崎吾朗監督の3作目の長編作品です。
その評価は厳しく、興行収入も振るいませんでしたが、この作品がジブリにもたらした意味は決して小さくありません。宮崎駿は、吾朗監督の本作を「思いのほか健闘して、結構面白くなった」「CGの使い方も上手だった。大したもんですよ」と高く評価しており、息子の成長を認める言葉を贈っています。
これは、かつて『ゲド戦記』を厳しく批評した宮崎駿の言葉としては異例であり、吾朗監督が自身のスタイルを確立した証と捉えることもできるでしょう。
『アーヤと魔女』は、スタジオジブリが伝統的な手描きアニメーションに固執せず、新しい表現方法を模索する姿勢を示した作品でもあります。
この挑戦が、今後のジブリ作品、あるいは日本の3DCGアニメーション全体の発展にどのような影響を与えるのか、長期的な視点で見守る必要があるでしょう。
アーヤの「どんな場所でも変わらない」したたかさや、現代の家族のあり方を問いかけるテーマは、観る人々に多様な解釈を促し、作品の奥深さを感じさせます。
「いい子じゃない」ヒロインが、自分の力で人生を切り開いていく物語は、現代社会を生きる私たちにとって、ある種の「生きるヒント」を与えてくれるのかもしれません。
『アーヤと魔女』は、単なる賛否両論の作品として片付けるのではなく、ジブリの歴史における新たな一歩として、その挑戦とメッセージを再評価する価値があると言えるでしょう。
まとめ
本記事では、スタジオジブリ初の全編3DCGアニメーション映画『アーヤと魔女』について、「ひどい」「つまらない」といった厳しい評価が寄せられた理由と、一方で作品が持つ独自の魅力や意義について多角的に考察いたしました。
3DCGの作風、物語の終わり方、主人公アーヤのキャラクター性、声優陣の演技、そして予告編と本編のミスマッチなどが批判の主な要因として挙げられますが、これらは従来のジブリ作品に抱く期待とのギャップが生んだ部分が大きいと考えられます。
しかし、原作への忠実さ、アーヤの「したたかさ」が示す現代的なヒロイン像、3DCGアニメーションへの挑戦、そして魅力的な音楽と声優陣のパフォーマンスなど、肯定的に評価されるべき点も多く存在します。
興行収入こそ振るいませんでしたが、宮崎駿が吾朗監督の挑戦を評価したように、本作はスタジオジブリが新たな表現の可能性を追求した意欲作であり、今後のアニメーション制作に大きな影響を与える可能性を秘めていると言えるでしょう。
『アーヤと魔女』は、観る者に「ジブリらしさとは何か」「アニメーションの多様性とは何か」という問いを投げかける、非常に示唆に富んだ作品です。ぜひ一度、先入観にとらわれず、ご自身の目で作品の真価を確かめてみてはいかがでしょうか。



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