
呪術廻戦という作品を語る上で避けて通れないのが、過去の名作漫画に対する数々の「既視感」にまつわる議論です。
僕自身、連載開始当初から完結まで追い続けてきましたが、この作品には至る所に偉大な先達へのリスペクトが散りばめられています。
作者である芥見下々がHUNTER×HUNTERやBLEACHといった作品をこよなく愛していることは公式ファンブックや数々のインタビューでも明言されており、それを隠す様子は微塵もありません。
SNSやネット掲示板では「パクリだらけ」という厳しい声が上がる一方で、それはジャンル全体の文脈を汲み取った「高度なオマージュ」であると称賛するファンも多く存在します。
実際、膨大な数の漫画が世に送り出されている現代において、全く新しい設定や描写をゼロから生み出すことは極めて困難であり、むしろ「どのように名作を引用し、自分の物語として昇華させるか」という点に作家の腕が問われる時代になっています。
今回は、ネット上でパクリ疑惑として取り沙汰されている画像やシーンを徹底的に検証し、それらが物語の中でどのような意味を持っていたのか、僕の視点で熱く深掘りしていきたいと思います。
パクリだらけの画像
👉【呪術廻戦】最強は誰だ?全キャラ強さランキング完全版【2026最新】
👉【呪術廻戦】全キャラクターまとめ|術式・強さ・関係性を完全解説ガイド
うずまき
呪術廻戦の単行本16巻などで登場する夏油傑および羂索が放つ極ノ番「うずまき」の描写は、伊藤潤二によるホラー漫画の傑作「うずまき」を彷彿とさせます。

©芥見下々/集英社

©伊藤潤二/小学館
これは僕がわざわざ指摘するまでもなく、芥見下々本人が公式ファンブック等で「伊藤潤二先生の許可を得て描いたオマージュ」であることを認めています。
ホラー漫画の大家である伊藤潤二の不気味な造形美を、呪力という禍々しい力として再定義したこのシーンは、単なる盗用ではなく、ホラーへの深い造詣を示す確信犯的な引用だと僕は確信しています。
BLEACHの千本桜
花御やダゴンが展開する領域、あるいは戦闘描写の中で見られる無数の花弁や破片が舞う演出は、久保帯人によるBLEACHに登場する朽木白哉の斬魄刀「千本桜」の影響を強く感じさせます。

©芥見下々/集英社 ©久保帯人/集英社
芥見下々は「BLEACHがいなければ呪術廻戦は生まれなかった」と断言するほど久保帯人からの影響を隠していません。
特に詩的なセリフ回しや、キャラクターが戦場に立つ際のシルエットの美しさは、BLEACHが確立したスタイリッシュな少年漫画の文法を正当に継承している証拠です。
虎杖の目を開くシーン

©芥見下々/集英社

©冨樫義博/集英社
瞳の中に渦巻く漆黒の感情と、周囲を圧倒する殺意の表現をこのように描く手法は、冨樫義博という天才が提示した「少年漫画における怒りの頂点」の記号です。
虎杖悠仁という、普段は善良な少年が抱く「呪いへの憎悪」を視覚的に伝えるために、これ以上最適な表現は他に存在しないと僕は思います。
凄まじい集中

©芥見下々/集英社

©井上雄彦/講談社
対戦相手との極限の駆け引きの中で、背景が消え、キャラクターの意識だけが研ぎ澄まされる演出は、スラムダンクの井上雄彦が見せた手法を彷彿とさせます。
音が消え、ただ一瞬の動きに命を懸ける「静寂」の表現は、スポーツ漫画と呪術バトルの垣根を超えて、日本漫画界が積み上げてきた伝統的な演出技法です。
芥見下々はこうした古典的な名演出を現代の呪術バトルに上手くハメ込んでいます。
二重の極み

©芥見下々/集英社

©和月伸宏/集英社
物語初期、虎杖悠仁が使用していた「径庭拳」という時間差で二度の衝撃を与える技は、るろうに剣心の「二重の極み」に近いコンセプトです。
作者自身も和月伸宏へのリスペクトを語っており、物理的な矛盾を呪力という要素で解釈し直したのが径庭拳という技術です。
この技が後に「未熟さゆえの産物」として否定され、より高度な黒閃へと移行していく構成は、名作からの引用を単なる模倣で終わらせない芥見下々の優れた物語構築力を示しています。
宿儺のニヤケ顔

©芥見下々/集英社

©冨樫義博/集英社
呪いの王・両面宿儺が見せる不敵な笑みや、圧倒的な強者の余裕を感じさせる表情は、HUNTER×HUNTERのキメラアント編におけるキルアを彷彿とさせます。
人間という矮小な生物を嘲笑うようなこの「顔」は、圧倒的な実力差を読者に分からせるための象徴的なアイコンとなっています。
宿儺というキャラクターが持つ絶対的なエゴイズムを表現する上で、冨樫義博的な表情演出は非常に相性が良いというのが僕の見解です。
手に注目

©芥見下々/集英社

©冨樫義博/集英社
術師が領域展開を行う際や、術式を発動する際の印を結ぶ動作、あるいは掌を合わせる行為は、HUNTER×HUNTERのネテロ会長による「百式観音」の動作に重なります。
仏教的なモチーフと格闘を融合させたこの演出は、呪術廻戦という作品の「呪い」という和風ホラー的なテーマを補強する非常に重要な要素です。
一文字の印が大きな意味を持つこのシステムは、冨樫義博の影響を受けつつも、呪術廻戦独自のルールとして完璧に機能していると僕は評価しています。
黒閃→ジャンケン

©芥見下々/集英社

©冨樫義博/集英社
虎杖悠仁が放つ黒閃の構えと、その衝撃が広がる演出は、ゴンの必殺技「ジャジャン拳」に似た構図を見せることがあります。
溜めを作り、一転に全ての呪力を集中させるというプロセスは少年漫画の王道であり、そのインパクトを最大限に表現しようとすれば、自ずと似たような構図に行き着くのかもしれません。
黒閃という現象を「空間の歪み」として描く芥見下々のセンスは、単なる打撃技を超えた神秘性を与えています。
パンチ→霊光弾

©芥見下々/集英社

©冨樫義博/集英社
打撃の瞬間から衝撃が貫通していく描写は、幽☆遊☆白書の浦飯幽助による「霊光弾」や格闘シーンに多く見られる演出です。
冨樫義博の描く肉体の躍動感や、骨が砕けるような衝撃の伝え方は、芥見下々の戦闘描写における教科書となっていることがよく分かります。
特に呪力を込めた肉弾戦において、その泥臭くも鋭いアクションのルーツは間違いなくここにあると僕は断言します。
👉【呪術廻戦】京都姉妹校交流会編あらすじと結末|見どころ完全整理
伏黒

©芥見下々/集英社

©冨樫義博/集英社
伏黒恵が「十種影法術」を使い、その瞳に強い決意を宿す際の描写は、クラピカが「緋の眼」になった時の印象に近いものがあります。
一族の呪縛を背負い、冷静沈着ながらも内側に激しい情念を秘めた少年の瞳を描くとき、冨樫義博が生み出した「眼」の表現力はあまりに偉大すぎます。
伏黒恵というキャラクターの孤独と責任感が、この視線に凝縮されているように僕には見えます。
シン・陰流

©芥見下々/集英社

©冨樫義博/集英社
刀を使う術師が、簡易領域などを展開する際の「構え」は、HUNTER×HUNTERのノブナガなどの円や抜刀術の動作に類似しています。
足元に描かれる魔法陣のような円と、その中に入った敵を迎撃するシステムは、理論的なバトル漫画としての面白さを引き立てます。
シン・陰流という独自の流派に落とし込むことで、日本刀という武器の魅力を最大限に引き出す構図を完成させているのは見事です。
1級呪術師・冥冥

©芥見下々/集英社

©冨樫義博/集英社
冥冥が見せる金への執着や、冷徹なまでのプロ意識、そして戦闘時のダイナミックなポージングは、HUNTER×HUNTERに登場するプロハンターたちの精神性を継承しています。
呪術廻戦における「1級」という階級が持つ、本物のプロフェッショナルとしての重みを描く上で、冨樫作品が提示した能力バトルの厳しさは欠かせないピースだったに違いありません。
冥冥の強欲さは、呪術師という異常な職業を生き抜くための究極のリアリズムだと僕は感じています。
身長伸びました

©芥見下々/集英社

©冨樫義博/集英社
一時的な急成長や、制約と誓約によって無理矢理引き出された強大すぎる力の代償として姿が変わる描写は、多くの読者が「ゴンさん」ことゴンの強制成長を連想したことでしょう。
力を得るために何かを差し出すという「縛り」の概念を、視覚的にこれほど分かりやすく、かつ絶望的に描く手法において、冨樫義博の影響から逃れることは不可能です。
しかし、呪術廻戦ではそれを「魂の形状の変化」や「受肉」という独自の文脈で展開させている点が面白いと僕は確信しています。
瞬間移動

©芥見下々/集英社

©冨樫義博/集英社
高速移動や瞬間移動の際に、残像が残る描写や相手の死角に回り込む構図は、HUNTER×HUNTERなどの超速バトルに多く見られるものです。
最強の存在が、相手に反応すらさせず背後を取る。この絶対的な「格」の差を表現するアクション演出は、もはや様式美と言っても過言ではありません。
キャラクターが持つ神性を表現するために、最速の描写が選ばれるのは当然の帰結だと僕は考えます。
刺さるお魚

©芥見下々/集英社

©冨樫義博/集英社
ダゴンの領域内で召喚される無数の呪霊の魚が、相手に食らいつく描写は、カイトの能力や「死体の遊戯(フィッシュ・オア・ダイ)」などを思わせます。
海洋生物をモチーフにした、逃げ場のない飽和攻撃。生理的な嫌悪感と美しさが同居するこの演出は、領域展開という逃げ場のない必殺空間を象徴しています。
深海を思わせる静かな恐怖を、このように具現化する手法もまた、先達が切り拓いた地平の上にあるのだと僕は思います。
術を物体で試す

©芥見下々/集英社

©冨樫義博/集英社
新しい術式や能力を得た際に、石や木などの物体でその威力を確認するシーンは、少年漫画の修行パートにおける不変のテンプレートです。
どれだけの破壊力があるのかを読者に示すために、「無機物を破壊する」という描写は最も直感的で分かりやすい。
こうした基本的な漫画表現を丁寧に踏襲しているからこそ、呪術廻戦のバトルは論理的に理解しやすく、面白いのだと僕は確信しています。
映画鑑賞で上達

©芥見下々/集英社

©冨樫義博/集英社
虎杖悠仁が五条悟のもとで、映画を見続けながら呪力をコントロールする修行は、HUNTER×HUNTERなどの特殊な修行方法の影響を感じさせつつも、非常に芥見下々らしい映画愛に溢れたシーンです。
感情を揺さぶられながら呪力を一定に保つという訓練は、呪術廻戦における「感情が呪いの源泉である」という設定を活かした優れたアイデアです。
こうした「既存の修行の型」を自身の世界観に落とし込む手腕こそ、芥見下々の真骨頂だと僕は評価しています。
慈愛の形

©芥見下々/集英社 ©冨樫義博/集英社
ネテロ会長が見せた「感謝の正拳突き」の境地や、慈愛に満ちた(あるいはそれを超越した)仏的なイメージは、呪術廻戦の領域展開や高位の術師の演出に多用されます。
東堂葵の「不義遊戯」における、一見すると無意味な「掌を合わせる」という動作が最強の術式発動条件になる落差は、ネテロ会長の祈りへの強烈なオマージュだと僕は思います。
宗教的な重厚さと、バトル漫画としてのケレン味を高いレベルで融合させる技術は、名作から学んだ最上の果実です。
👉【呪術廻戦】呪いの王から人類の敵まで|読者を震撼させた敵キャラの深層に迫る
なんとなく似ている

©芥見下々/集英社

©冨樫義博/集英社
その他、キャラクターの立ち位置やセリフのフォントの大きさ、コマ割りに至るまで、冨樫義博の影響を感じさせる部分は数え切れません。
しかし、それは「パクリ」という安易な言葉で片付けられるようなものではなく、名作のDNAを引き継ぎ、新たな時代に最適化しようとする作家の「血肉」となっている結果です。
呪術廻戦がこれほどまでに爆発的な人気を博したのは、過去の名作が持っていた「毒」や「ロジック」を現代の読者が最も欲しがる形で提供できたからだと僕は確信しています。
まとめ
呪術廻戦における数々の「パクリ疑惑」を検証してきましたが、僕の結論は「偉大な先達へのオマージュを燃料とした、最高品質のエンターテインメント」であるということです。
作者の芥見下々が自らのルーツを隠さず、むしろ読者との共通言語としてこれらを散りばめている点は、非常に誠実な創作態度だと僕は思います。
2024年に本編が完結し、2026年現在もその人気が衰えないのは、単なる真似事ではない、呪術廻戦にしかない「キャラクターの死生観」や「絶望の描き方」が読者の心を掴んで離さないからです。
他者の作品を参考にしながら、それを超える熱量を生み出すことは、何も生み出していない側が批判するほど簡単なことではありません。
名作から受け取ったバトンを、芥見下々は次の世代へと確かに繋いだのだと僕は確信しています。
これからも、この偉大な物語が語り継がれていくことを、一人のファンとして、そして専門家として心から応援し続けたいと思います。
以下の呪術廻戦おすすめ記事も是非ご覧ください!























コメント
うずまきのデザインとタイトル丸パクりはさすがに引きました。
普通に読んでいてもハンターハンターやナルト、BLEACHが余程好きなんだと分かりますが、こう並べてみるといくつかオマージュと言っていいのか微妙なものがありますね…。
個人的に、「面白ければ許される」という理論は今後の作品表現において通用しない(させない方がいい)と考えているので、集英社の今の作品展開についていけなくなってます。
どーだかなぁ
似てるところは似てるけどストーリーのパクリじゃないし、表現の模倣なら許されると思ってる。(あくまでも主観なので許されて然りとは言わん)
もちろん全部オリジナルがいいに越したことはない。
人物設定・背景もパクってるとこあるじゃん
何よりイラストそのまま書き写すのは模倣の域には収まらない
この「うずまき」がセーフだと思う感覚では、何も語らない方がいい。
騒がれてるからパクリまとめ見てみたけど、ほとんどこじつけっぽいな
「うずまき」はやっちゃった感はあるけど、他は弱すぎないか?
強いて言うなら三輪とノブナガの技くらい?
ちなみにハンタの表紙絵はもともとのハンタ自体がパクリやぞ、ジャジャン拳もDBのジャン拳のパクリや
ハンタも昔は売れる要素詰め込んで富樫が新連載始めたって騒がれて、パクリ疑惑とか色々検証されてたの思い出すわ
現代エンタメ楽しむなら既視感は付きものやね
これもワイの主観と価値観だけど、これ作者は本家リスペストしてるつもりだろうけど単に生み出す想像力がないんだな〜って引いちゃう。
これを良しとしてしまう読者もどうかと思う。
0から1を生み出すのはほんの一握りの天才だけだけど、それにしたって才能がないとしても構図やモチーフ(特にうずまきのやつとか、よだれとか)が丸々同じってどうなんだろう。
これをそのまま許してると、他の才能も良識もない若い作家が「同じの描いても大丈夫・読み手はリスペクトと分かってくれる」って勘違いして絵のトレース増えるし、最悪ストーリーすらパクるやつ出てくると思う。
どこまでが良いリスペクトパロディでどこからが悪質なトレパクかは人によっておおきく違うだろうから難しいけど、もし本家から訴えられたらこの中の3分の1ぐらいは言い逃れできないと思う。
そういう真似の仕方はしない方がいい。
漫画ならスルーされるかもしれないがデザインの世界だったら許されないと思う。オリンピックエンブレムの件がそう。
パロディとして自身の作品に落とし込むにしても、一度それがどういうものなのか理解して自分の表現として生み出すようにしないといけない、クリエイターは。
ワイはそう思うから呪術は好かんし、作者もこれを知ったうえで応援できる盲目信者を軽蔑する。
勝手に軽蔑しててどうぞ
うん、軽蔑するわ
盲目信者だからパクリも分らないねw
ハンタも呪術も軽蔑しときゃええやん。
他分野ではこのぐらいは許されてるし漫画だけここまで過敏になるのは違う。
冨樫のオマージュ魂は受け継がれるべきだと思うぞ。
昔ボンボンで連載してた、ドラゴンボールの構図をそのままパクったクロスハンターを思い出した
うずまき以外はそーでもない
似たような構図になるのは仕方ないでしょ
漫画家さんだって0から始めたんじゃなくて、いろんな漫画を見て勉強してるんだから
あと絵描けばわかるけど、参考の構図は絶対必要だからね
騒がれてるからパクリまとめ見てみたけど、ほとんどこじつけっぽいな
「うずまき」はやっちゃった感はあるけど、他は弱すぎないか?
強いて言うなら三輪とノブナガの技くらい?
ちなみにハンタの表紙絵はもともとのハンタ自体がパクリやぞ、ジャジャン拳もDBのジャン拳のパクリや
ハンタも昔は売れる要素詰め込んで富樫が新連載始めたって騒がれて、パクリ疑惑とか色々検証されてたの思い出すわ
現代エンタメ楽しむなら既視感は付きものやね
今回確か、さらに新しいものがパクリで追加されたが
パクリを悪くないとか自分で言いだしたし
お隣の国みたいなこと言いだしたら、もうそれは悪意のあるパクリでありオマージュですらない
こじつけしすぎワロタ
アイディアを盗むという行為はありとあらゆる事柄で避けられないし(例えば海外のレジェンド級の音楽アーティストあたりはアイディアを盗むという行為自体は否定するどころか肯定している人が多い)よほどの事以外はそれを言い出すとオリジナルしか存在してはいけない事になって、結果的に原初のあれこれ以外は受け付けないという理屈になっていくけど、受け手が「にやり」とするか萎えるかの違いが大事なんだよね。
個人的にこの作品に関してはあからさますぎてツギハギのキメラみたいになっていて萎えてしまうからあまり好きではない。
ただ、パクリ云々は結局のところは当事者同士で解決すべき問題だから外野がぎゃーすか騒いでも仕方がない。
これはどうかなぁ意識しすぎって感じもする。してるなって部分もあるけどこれは言い過ぎじゃない?
絵を描いてるか否かでも見方は変わってくると思う。とりわけ0→1できなきゃ軽蔑するし引く~みたいなのはちょっと。ほとんどの作品においてまず完璧な0ってないに等しいと思う。あとポーズなんかも著作権ない(よほど独創的でなければ)し、表情とかもパクリというか参考で通るレベルだと思う。(そもそも、普通にありふれた表情)
今の呪術廻戦はできの良い同人誌みたいになってるから一回うずまきで怒られたほうが良かったね
うずまき以外はギリッギリセーフかな…けど好ましくはない。
盲目信者キモいよ、オマージュの域とっくに超えてるわ
漫画と勝って定番の見せ方みたいなのがあるし完全オリジナルな作品ってほぼ無いと思う
みんながうずまきについて触れてるけど私は元ネタを知らないから一番わかんなかった
パクリとオマージュの違いってリスペクトの有無だからあんまこっちの判断することじゃないし、悪質じゃないなら良いんじゃないかな
漫画見てて三輪ちゃんとノブナガとか黒閃とじゃんけんとかが似てるなぁとは思ったけど、作品自体丸パクリみたいなのじゃなくて色々追加されてたり新しい解釈的なのがあるんだったそういう作品て楽しめれば良いんじゃないかなと
私がオマージュ元の作品が好きだったら、この作品はこれをパクってる!というよりかこの作品にこの作品の要素が出てきた!って喜べると思うし
最後に、上記だけどパクリとオマージュはどれだけ似てるかじゃなくてリスペクトの有無だから、それは視聴者とか読者がどうこう言うんじゃなくて、オマージュ元の作者が何も言ってないならそれでいいと思う
パクリかどうかを「本人のリスペクト」で決めるのは無理があると思う。本人が「尊敬してます!」って言えば何でも真似してOKになっちゃうし、それだと作った人の権利が守られないよね。
元の作者が黙ってるのも、本当にいいと思ってるわけじゃなくて、業界の立場的に「言えないだけ」かもしれない。
後輩の作品にいちいちケチつけるのも大人げないって思われるし、なにも言ってないイコールOKって受け取るのは違うと思う。
元ネタが好きなら喜べるっていうのも、ファンからしたら「安っぽく真似された」って嫌な気持ちになることもあるし。結局、面白ければ何でもアリっていうのは、ちょっと作り手として都合が良すぎるよね
なんかパクリは悪いみたいな風潮あるけど、嫌いな人が一定数いるだけで悪ではない。(法律に引っかからない範囲なら)
何十回、何百回パクられたモノだけが、王道、テンプレ、流行になるんやで。
直哉vs真希もモックタウンのベラミー戦のパクリ
まあうずまきがダメな時点でなあ
個人的にはよだれを垂らすのが意味わかんなすぎて元ネタがあるってきいたああそうなのかと
あとは信者がキモ過ぎて嫌いになった作品ですね
うずまきは「伊藤潤二先生の許可を得て描いたオマージュ」と書いてありますがこれは間違いでジャンプ本誌に掲載した時点では許可を取っていません。
「騒動になったので単行本化の際に伊藤潤二先生に事後承諾をいただいた」というのが正しい内容です。また単行本ではうずまきの絵も変更されています。
「冥冥と」「ハンハンのヒソカ描写のパクリ」を、「ハンターの精神性が似てる」とか、共通項すら間違ってる。それ、ヒソカの台詞シーンの部分。
あと、「落花の情」「ハンハンの円」も「コマ割りがなんとなく似てる」と間違ってる。